2016年9月27日火曜日

[閑話][法務]ルールを適用する(罰則を与える)場面では感情が入り込まない仕組みを作ることが大事だよね、というお話

僕自身が 入り浸っている 最もよく使っているSNS「Google+」で、コミュニティの運営についてちょっとした騒動があったので、備忘がてら若干のコメントを。

※事の経緯に関しては、それを知ることで本題が頭に入ってきやすくなるのは間違いないと思いますが、いかんせん本題ではないので最後に雑くまとめる程度にしておきます。

必要な方はそちらから先にご覧くださいませ。


さて、今回のお話ですが、「(実質的に半公式的な意味合いを持つと第三者から見えやすい)コミュニティ」という、様々な価値観や考え方のメンバーが広く集まる特性のグループにおいて、
  • コミュニティとしてのルールはどうあるべきか?
  • 一定の罰則を行使する基準はどうあるべきか?
ということが論点となっていたような気がします。

※あくまで気がするだけです。ちょうど外出していて詳しく追っていなかったので、誤って捉えているかもしれませんが、本記事のネタ振りにどうしても必要であったということでひとつご理解いただければ幸いです。


ここからは私見ですが、公式的だろうが非公式的だろうが、多様な価値観や考え方の人間を幅広く集めることを目的とした組織のルールや規制というのは、
  1. 客観的事実に基づいて
  2. 論理的に言語化された明確な基準をもって
設定される必要があると思うんですよ。


「多様な価値観や考え方の人間が幅広く集まる」ということは、それだけ多くの意見や感情が出てくる場となることを意味します。

ひいては、多人数間の価値観や考え方の相違があぶり出されやすくなる(衝突しやすくなる)、ということになるかと思います。

そういった自然発生する「異なる意見や感情の対立」について、「どのように利害調整をするのか?(=着地点をどこに設定するのか?)」という対応は現実的に必要となりますよね。

そこでその対応の基準となるものを設定し、異なる意見や感情の間に適用させるものとなるのが「ルール」なのである、と考える次第です。

(ルールというものは、決して「どっちが悪い」だとか「どっちが正しい」といったことを決める類いのものではないのですよ…。)


個々人の「価値観や考え方」に関することを、「主観的」で「曖昧な」基準でもって判断するというのは、理不尽な不公平感、ひいては不必要な不満をルールの被適用者に対して与えてしまうことになります。

というか、罰則を定めたりそれを遂行する際に感情や主観性を感じさせてしまったら、それはもはや「法治」ではなく「人治」ですからね…。

「意見を言ったらトップの感情を損ねて罰を受けたよ…」という組織が、「多様な価値観や考え方」を受け入れているとは言い難いのではないかなぁ…と感じるところ。


…という訳で、ぜひとも「罰則」を課す組織でルールを設定し、組織内のメンバーに守らせる立場におられる方々には、「明確な基準の設定」と、「その基準についての論理的な伝達」を心掛けていただければと願う次第なのでございます。

「管理人の判断で●●します!」などという言葉は、「そんなの全然ルールとは言えないよ…」というモノを作ってしまっており、管理行為をサボっていると言っても過言ではない…と思っていただくくらいでちょうど良いものと存じております。


----------事の経緯ざっくりまとめ----------

※客観的事実と言い切れる訳ではなく、一定の主観が入っているかもしれませんが、そのあたりご理解の上で御覧ください。

元々は米Google社の公式のものであった某コミュニティが非公式化される。そのオーナー権限も(米Google社の教育を受けたらしい)一般ユーザーに譲渡される。
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譲渡後のオーナー(一般ユーザー)が行った行為に対してコミュニティ外で不満を言った一般ユーザーがコミュニティから追放される(※ただし、コミュニティ内で騒動を起こした訳ではない。)。
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上記追放に関して、その追放基準に疑問を持った数名が譲渡後のオーナーに対して質問をするも、全ての投稿が譲渡後のオーナーによって削除される(少々強い表現が見受けられますが、そのあたりを「誹謗中傷」と判断した模様?)。
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公式フォーラムに場を移す。噛み合わない議論・(第三者から見ると)煽り合いのような状態に…。
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このあたりから情報を追わなくなったため結末は存じ上げません!(放り投げ)