夫「人生を楽しむためには、お金か、時間か、頭のどれか、そのうちの特に2つを活用する必要があるって聞いたことがある。若いときはお金が無いから時間と頭。仕事して時間がないならお金と頭みたいに。上手く生きる工夫が大事だよね。まあだいたい頭がいい人は全部活用できるんだけど。」
— フクロウさん (@Msowl_FUKURO) May 18, 2024
だそうな。
若ければ若いほど、楽しみや自由といったものをお金ではなく時間と頭で手に入れた数と質というのが、直接的に(無形)資産になると感じている。
上掲のXポストとは文脈が異なるが、経営者も投資家も(たぶん被雇用者であっても)、若い頃にお金”ではない”ものを如何にやり繰りしたか、というところで伸び代が全く違うものと感じる。
(10代20代の「お金」だけで逃げ切れるなら、もちろん話は違ってくる。)
私自身は、良くも悪くも統計上の余命が約45年ある者である。
今20歳の方だと、統計上の余命は約60年ある。
統計(平均)が全てではないし、かつ、人生は統計や平均がモノを言ってくれないものだが、それでも、数字上はそのくらい長い時間を生きてしまうものなのだということを頭に入れておく必要がある。
そして、私は、この長い(そしておそらくはあっという間の)時間をどのように戦うか、というところに焦点を当てている。
40年を戦うなら、40年を戦えるだけの何かが必要である。
いやそうでなく、10年で戦い切るというなら、そういう戦い方となる。
明確に自分自身で分かった上でやる分には、どちらも正解となる(正しくは、「自分自身で最後の最後に正解にできる」であるが。)。
(近年稀によく目にするのが、「自分自身がベットしているものの中身」をきちんと理解していない言説である。
その中身を理解していないにも関わらずそれにそうベットしてんの?という言説が多いことには、正直、多少辟易していたりする…。)
もし、40年を戦う想定の場合において、時間と頭を使って身に付ける対象が”お金”であるなら、”お金”というもの(の哲学)に全身全霊打ち込んでみたら良いと思う。
時間軸が長くなればなるほど、ライトな金融リテラシー()論はいつか必ず足元を掬うだろう。
そのときに、あなたにその金融リテラシー()を吹き込んだ”誰か”は、おそらくはもうこの世にはいないのだ。