はじめての皆様へのご挨拶

2024年4月26日金曜日

少子化・高齢化vs技術革新の構図

インフレ/デフレを想定する上で、雇用という点に焦点を当てると、基本的にはインフレ圧力が働きやすい構造となっていると考えている。


現代の産業構造においては、雇用への影響について、(資本集約型ではなく)労働集約型(※)の産業/事業の割合が高いものと捉えている。

(※)私は知識集約型と呼ばれるものも実際は労働集約なものであると定義している。

そして、誰しもが知っているとおり、我が国日本では少子化により、(将来の)労働者が減少する一方である。また、高齢化により(労働から離脱した者の)消費は増加する一方となる。

そうすると、大変教科書的なお話ではあるが、労働(者)が生み出す財・サービス(=供給)よりも消費(者)(=需要)が大きくなるから、インフレ圧力が働きやすくなる。

つまり、時間軸を長期で取った場合に、雇用に関してはインフレ圧力が働きやすい構造であると想定している。


その一方で、AIをはじめとした技術革新というものは、基本的に雇用に対してデフレ圧力を与える。これはわざわざここで説明するまでもないだろう。

そうなると、労働集約型産業を資本集約型産業に置き換える(または、完全には無理でも、一定程度資本集約化する)ことにより、労働者の減少分の供給を技術革新がどの程度埋めることができるのかというところが、長期的に見た雇用という点に焦点を当てた場合のインフレ/デフレ想定の最も重要な材料の1つとなると考えている。


なお、労働集約型産業を資本集約型産業に置き換えるという点について、大資本には可能であっても、(中~)小資本にはかなり厳しいことであると現時点では考えている。

(相当の技術革新および当該技術の汎用化(低価格化)により可能となるかもしれないとも考えているが、基本的にこういったことは最も悪いケースから想定を組み立てておくと丁度良いと思っている。)

そうなると、小規模事業者にとっては、技術革新が及びづらい(技術革新の提供者にとって市場メリットが薄い)戦場を選んでいく(上手くピボットしていく)というのが、長期的に生き残る道の1つとなるのではないかと想定している。

また、これらの想定から、時間軸を長期で取ると、様々な経済活動において中途半端なもの(中規模なもの)が減少し、「超マクロ」か「超ミクロ」に2極化していくのではないかと妄想している。

2024年4月22日月曜日

データ至上主義(者)の弊害

経営数字と事業ポートフォリオ構築に責任を持つ立場を生業にしている者として、これは本当にその通りだと考える。


とても大きな分岐となるような意思判断、つまり、戦略面での意思決定(決断)は、定性面を見る割合が最も大きい。

この場面において、定量情報(数字/データ)は”兵站”である。それを超えるものでもそれ未満のものでもない。

(もちろん、兵站は戦略決定およびその遂行において極めて重要な要素の1つである。)


数字、データ、定量情報というのは全くもって万能ではない。

それらを万能と捉えてデータ至上主義を取ると、大局観のところで決断/判断を誤る。


俯瞰、大局観、といったところで誤った決断/判断は、残念ながら、どれだけ小手先の部分で取り戻そうとしても決して上手くいくことはない。

故に、経営者/事業者というのは、(データサイエンスが云々、データドリブンが云々、言う前に)まずは俯瞰や大局観というところが一定以上の水準で勝負できるようになることが最も重要であると考えている。

2024年4月17日水曜日

頑固はただただ損するだけ

リスクテイクの類のものは資産運用に限らず万事これ。


付け加えると、自分自身の想定などというものは、(特に最初のうちは)全部誤ると構えているくらいでちょうど良い。

(だから想定しなくていい/想定するなと言っている訳では全くない。)

自らの誤りを直視し、その自らの誤りに対して自ら真っ直ぐに向き合えるかどうか、が長期的には結果を出し続けられるかどうかに最も影響していると思う。

頑固というのはただただ損するだけなのである。

2024年4月13日土曜日

自制心依拠は長期的には超高確率で裏切られるものである

会社経営でも(規模や額は段違いであれど)あるあるな事例。故に、捜査が進まんことには何とも言えんわな、などと思っていたなど(後出しの初言及。ビバ事後諸葛亮!)。


いわゆる”右腕”(=通帳やハンコを信用して持たせてもらうような者)というのは、究極の無金欲(倫理観や誠実さなどでは全然弱い)という性質がないことには長期間その任を果たすのは難しいと思う。

魔が差す瞬間というのは、どれだけ清く正しく美しく生きている者であっても―誰しもに等しく眼前に現れるのだ。

そのときに頼れるのは自制心ではなく、そもそもその対象に対する欲がないというところになるのではないかと感じている。


ただし、何かしらの欲があるから人は前に進むことができるのだとも思う。

現実的/実務的には、人は誰しも魔が差すのだという前提で、諸々の構造を設計するということになると考えている。

人を信じる(信じたい)からこそ、人を手放しで信じてはならない―という禅問答である。


2024年4月8日月曜日

新規事業投資を決定いたしました。

新規に事業投資を行うことを決定いたしました。

(投資規模(フェーズ)はシード~プレシリーズA。)

弊投資テーマにド真ん中に適合するものであったこと、経営陣の考え方が私の考え方に合うこと、の2点を決断材料とさせていただきました。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2024年4月5日金曜日

自由は最適だが、自由を維持するには全員の努力が必須

これ本当に何かしら対策を講じる方が良いと思う。


某ユニクロ柳井さんのやつとかは3分くらいソースを調査するだけでこれ絶対アカンやつやなと分かるが、投資若葉マークな人たちはパッと見でこういう嗅覚は働かないだろうし、僕自身、若葉マーク時期に働いたかというと無理だったと思う。


資本主義(市場原理)も民主主義(自由主義)もともに、「みんながみんな(1人残らず)」中長期目線が可能かつ倫理的に行動選択できる場合にのみ、極めて有効に機能するものと捉えている。

その上で、にんげんさまという総体にそれを実現することは極めて難しいのではないか、と考えている。


自由であればあるほどに人はより幸せになれる反面、自由な社会を超長期間維持できるほどに人類という総体としては自制力を持っていないと思う訳である。

今回取り上げた事案に限らず万事、規制は幸福を下げるが、規制しないと不幸が天元突破する―という中で、あとはどのあたりでバランスを取るかということだろうと眺めている。

2024年4月4日木曜日

キレイなビルよりキレイなPLとBSとCF

キレイなビルよりキレイなPL、本当にこれは本当すぎて首がもげる。


付記すると、私自身は、「キレイなビルよりキレイなPLとBSとCF」と(この上なく強く)考えている。


なお、これはベンチャー企業に限らない。小規模事業者にも等しく当てはまる。

事務所をシャレオツにすることに全力投入してるんちゃうかというところで成功したところってあるんです?と思う程度に期待値が低い(まぁ、あたしのnが少ないだけかもしれない。)。

(もちろん、完全な0ではない。)

また、そもそも、キレイなビルでないと来ない者というのは、他にもっとキレイなビルの他社が目に入ったらあっさりとそっちに行くと思う。


万事において、見るべき基準はひとえに「戦えるかどうか」だと私は考える。

2024年4月2日火曜日

自身が保有する武器の量と質、適用する幅と深さの妙

マクロ経済を観察(Observe)し状況判断(Orient)することを、経営/事業に具体的にどう適用するのかについては、私は息を吸って吐く感覚で無意識レベルで行っている。

私はこうした”より抽象/俯瞰””そもそも論”というところの想定/決断/動きが好き(かつ、私自身が保有する技能として、他の技能と比べて最もマトモに戦えるレベル)であるという武器だけで長く戦い続けてきたと言っても過言ではない。

そうした中で、昨日は、この武器について適用できる範囲(分野)が1つ増えた大変ありがたい日となった。


事業を行う者として干支一回り以上稼働し、純粋な年齢も30代半ばを超えて、それでも私自身の性質や技能をどのように具体的に適用できるかということは年を追うごとに増えている。

率直に、手持ちの武器の量と質はさすがにそろそろ固まってきつつある。(これ自体は私は悪いことではなく、むしろ良いことだと考えている。)

その上で、それを適用する幅と深さをどのようにコントロールしていくかというところが、今後の私自身の戦い方として重要なのだろうと現時点では仮説立てている。

2024年3月30日土曜日

トップ個人を信じられるかどうか

事業構造・利益構造は素晴らしいが、経営陣(およびそれに類する役職陣)から雰囲気を感じられない場合、というのが私が最も(事業)投資で悩むケースである。


事業というものは、仮にどれだけ完璧な論理が成立していたとしても(もちろん、それはあり得ないが)、決してそれだけで上手くいく訳ではない。

最後の最後は経営陣、さらに言えば、トップ個人のリスクテイクの巧さ(これは決して「リスクテイクする/できる」だけでなく、むしろ「無駄なリスクテイクをしない」決断ができるかどうかという方をより重要視している)というのが最も重要な要素であると感じている。

このリスクテイクの巧さの雰囲気を感じられるかどうかというのが、私にとって最重要の論点なのである。


とどのつまり、事業投資というのは、人によって見るポイントは様々で異なれど、自分自身の哲学や基準に照らし合わせてトップ個人がそれに合っているかどうかを信じられるかどうかということなのだろうと思う。

2024年3月25日月曜日

米欧の経済(学/政策)をそのまま適用することは果たして絶対的なものなのか?

図らずもたまたま先日同様のことを申し上げていた。

(本当にたまたまで、そんな記述のある稿があるなど全然知らなかったですよ笑)


(※先日のXでの投稿)


(このようなX(旧Twitter)での投稿のようなものも今後はこちらに書いていこう(移していこう)と考えている。)

2024年3月23日土曜日

「社運を賭け」ている時点で”負け確”である

経営/事業、は博打ではない。かつ、経営/事業に100%確実なことは何一つとしてない。

故に、経営/事業において行うことというのはひとえに、成功を得るための試行錯誤(=思考と行動)と、失敗したときに致命傷を負わないための試行錯誤(=余力管理)、この両方のOODA-LOOPの掛け算ということになる。


前回の記事([動く/行動する教の功罪])では、動きすぎることがなぜ経営/事業に悪影響を及ぼすと私が考えているのかについて記した。

今回は、その派生で「社運を賭ける」ことを好む者が如何にして社を潰すのかについて記す。


率直に、私は「社運を賭けて―」などといった言葉を口から出す経営者/事業者というのを全く評価も信用もできない。

経営資源管理(余力管理)というのは、経営者や事業者の最も基本にして最低限の仕事の1つであると考えているためである。

この定義に照らし合わせると、社運を賭けなければならない状況を作り出した時点で、経営資源管理(余力管理)に失敗しているものと考える訳である。

また、そんな経営資源管理が「仕事」である経営者や事業者が、それすらできないにも関わらず、”一発”当てる確率など限りなく低いとも考えている。

失敗したときに致命傷を負わないための試行錯誤は比較的”計算可能な(コントロール可能な)”範囲が大きいものである一方、成功を得るための試行錯誤(=思考と行動)は”完全には計算不可能な(コントロール不可能な)”ものであるためである。

「成功はアート、失敗はサイエンス」という言葉があるが、これは私の経験知含む歴史の教訓としてそう言えるものであると確信している。


私は、「社運を賭けて―」という言葉を経営者が発した時点でその社は既に”負け確”であると考えている。

もちろん、そういった賭けを1万回試行すれば、少なくとも1回は勝つだろう。しかし、それは「経営」「事業」とは到底言えないものである。

重ね重ねとなるが、経営者・事業者(および運用者)にとって、余力管理は最も基本にして最低限の仕事の1つなのである。

リーダーシップや人心掌握、イノベーションを起こすには、などといったキラキラしたものが持て囃され、そういったことを追いたくなる時代であることは理解するが、経営者・事業者の仕事を履き違えてはならない。

2024年2月23日金曜日

「動く/行動する」教の功罪

「決める(決断する)」ということは、「やることを決める」ことではなく、「やらないことを決める」ことである―ということを久々に思い起こす場面に出くわしたので改めてここに備忘しておく。


少なくとも私が学生時代の頃(15年ほど前)からずっと、「動く(行動する)」ことは絶対の正義であるという風潮が確実にある。


たしかに、動く/行動するということ自体は、ここで改めて言うまでもなく(そして、経営者/事業者であればほぼ全員が認識している通り)極めて重要なことである。

動く/行動することなしに自社や自身の課題が解決されることはほぼない。

また、自社や自身の理想や最低目安などを達することもほぼない。

これは、動く/行動することによって、自社や自身の課題がドンピシャで解決される/理想や最低目安をドンピシャで達成できる機会(要素)を探り当てているからだと理解している。


その上で、動く/行動することはできているにも関わらず、自社や自身の課題がドンピシャで解決される/理想や最低目安をドンピシャで達成できる「絶好の機会」が訪れた際に、その機会を掴むことができないパターンを往々にして見る。

このパターンにおいて、行動量の不足のために掴むことができないというものはそれほど多くないように思う。

(前述の通り、経営者/事業者はほぼ全員が行動(量)の重要性を認識しており、そもそも何かしらの形で常に行動しているものである。)

ではどういったパターンが多いかというと、絶好の機会を「掴む」ための経営資源(ヒト、カネ、モノ、ジョウホウect...)が足りないというものである。


端的に言うと、これは「動きすぎ」である。

経営者/事業者というのは、ただ動けば良いというものではない。

思考なしにただ動くだけでは、貴重な(有限である)経営資源を無限にすり減らすだけで終わる。

(なお、往々にして経営者当人/運用者当人はそのことに気付かない。)

絶好の機会を「掴む」ための余力を残しながら「動く」ということが肝要なのである。


経営/事業というものは、”キラキラしたものに流される””流行りを追うことしかできない”という者が継続的に結果を出し続けられるようなものではない。

大事なので何度も書くが、経営資源は有限である。

「全て」の施策を同時並行で高レベルに行うことができるとするならば、それはAmazonやAlphabet(Googleの親会社)などの、資本が実質的に無限にある、極限られた企業のみである。

自社や自身がその水準にないのであるならば、貴重な有限の経営資源をどこに配分するか、即ち、どこには配分”しない”のか、ということを決めることが「経営者/事業者の(にしかできない)お仕事」となるのである。

2024年2月9日金曜日

CHD:NYSE-Church & Dwight Co. (202310-)

2024/2/3


2024年2月2日金曜日

2024年1月30日火曜日

2024年の想定

2020年4月から「前門の信用収縮(=経済情勢(大)悪化)、後門の過剰流動性(高インフレ)」という想定を唱えてきたが、2024年も引き続き(2025年までは)この想定を継続している。

ただし、2024年内(少なくとも上半期まで)という時間軸で見ると、インフレの高進/低下がどうなるかは分からないという上で、致命的な経済情勢の悪化というのは考えづらいのではないかと想定している。

また、「東京および東京圏」と「それ以外の地域」で、これまで以上に状況が乖離する(乖離幅が高まる)と想定している。


こう考える理由の1つ(他にも様々なことを見て考えているが、とりあえずの例示)としては、少しずつ出てきつつある今春の大企業のベースアップについての状況にある。

既に広く知られているとおり、このベースアップについて、ざっくり見ている限り現時点では、だいたい3%~5%の幅の中のどこかというのが落ち着きどころではないかと捉えている。

大企業の賃金については、多少なりともインフレ傾向で進むことになるだろう。


これを受けて、日本銀行の判断はまた難しさを増すのではないかと妄想している。

上で述べたとおり、大企業(端的に言うと、東京および東京圏)では賃金インフレが進むと想定している。そのため、日銀はマイナス金利解除まではしたいものと想像している。

しかし、東京圏以外では、インフレ率が低い(デフレ圧力が強い)。定性面を見ても、(定量面以上に)この傾向にあると捉えている。そのため、この観点で見ると、日銀は金融引き締めと受け取られかねないことをしたくないものと想像している。

(余談、マイナス金利を解除すると、市場(特に、外国人)はゼロ金利解除までも想像すると想定している。ひいては、過剰な価格形成を誘発する可能性があるものと想像している。)

米国の政策金利が低下方向に転換すると想定されている今、市場をあまり刺激したくはないのではないかと思う。

政策決定というのは、(セーフティネットを用意した上で)まずは最優先事項を手当てする、ということであるが、そうなると、基本的に強者側を”最優先事項”とすることは難しいと思っているので、本件についておそらくは「東京圏以外」を取ることになるのではないかと仮説立てている。

つまり、マイナス金利解除まではするとして、その先は踏み込まず、結果、東京および東京圏はインフレ/それ以外はディスインフレ(ないしデフレ)、というのが最優位の想定ということになる。


米国は「ノーランディングかソフトランディングか」と巷で言われている。

このフレーズを借りると、私は、日本(米欧もであるが)は「ソフトランディングかハードランディングか」というのが基本的な想定している上で、具体的に以下の3パターンを想定している。

  • 高インフレを伴ったソフトランディング
  • 高インフレを伴ったハードランディング
  • 高インフレを伴わない(デフレを伴った)ハードランディング

その上で、より短期的には、日本に関しては、適度なインフレ下(ディスインフレ下)での経済情勢の良化を第一の想定としている。

なお、日銀がマイナス金利を解除した場合でも、それだけでは経済情勢に大きな影響を与えないのではないかと考えていることも補記しておく。

また、地政学面の事象により、資源価格等が高騰することで世界的に高インフレが再来するパターンというのを頭に入れていることも補記しておく。

2024年1月1日月曜日

[年初の御挨拶] 謹賀新年

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

2024年が皆様にとって素晴らしい1年となることを祈念いたします。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

少子化・高齢化vs技術革新の構図

インフレ/デフレを想定する上で、雇用という点に焦点を当てると、基本的にはインフレ圧力が働きやすい構造となっていると考えている。 現代の産業構造においては、雇用への影響について、(資本集約型ではなく)労働集約型(※)の産業/事業の割合が高いものと捉えている。 ...