AGI/ASIが普及した未来を想定したときのディストピアパターン(想定)の1つがこれやね。
「AGI/ASIで労働から解放されてベーシックインカムで暮らす」が成り立つのは、今のところアメリカと中国だけです。日本ではほぼ実現不可能です。…
— Koki Ikeda (@K920_) September 8, 2025
界隈で期待される(よく目に入ってくる)「AIによる労働からの解放」というパターンについての評価はここでは置いておくとして、仮にこのツイートが示すパターンを辿るとするならば、を改めて考察(妄想)してみる。
まず、我が国というマクロの観点で見ると、私の意見はAI関係なくずっと昔から一貫して、化学とハードウェアを基幹産業として100倍プッシュするべき論者である。
これは今でも変わらないし、何ならより強く思っているくらいである。
一方、個人というミクロの観点で見ると、LLMが一定程度”使える”水準になって以降の考えは、「他人が面倒だと思う、身体と頭脳の両方を使う仕事」や「そもそもコミュニケーション自体が仕事内容である仕事」が仕事として最後まで残ることなんじゃないかと見ている。
もちろん、最終的にはこれらも全てAIが担う世界が来る可能性を否定しない。
個々人としては、究極的には、仕事”ではないこと”で人生の楽しみを見つけるということが最も重要になるのかなと思う。
しかし、そうは言っても、生きるためには必要最低限の所得・資産は必要だからね…(仮にベーシックインカムが実現するにしても、実現するまでの移行期間を乗り越えなければならない。)
そうなると、やはり何かしらの(複数の)”ムラ”を形成・所属・その発展に貢献し、できる限りの共助体制を構築・維持しておくことが重要ではないかと考えている。
自分自身が生きるという観点ももちろん込みで、難しい時代だなぁ、と心の底から感じている。