2026年も既に半分が過ぎてしまった。
もはや「2026年の想定」などと語る時期でもなくなってしまった感があるが、毎年恒例(と自分で勝手に思っている)なので、遅ればせながら書いておこうと思う。
まず、世の中のマクロ経済に対する見方を見ていると、どうも極端なものが多いように感じる。
今現在で私が持っているマクロ環境観は、「悪いと思っている人がそう思っているほど悪くなく、良いと思っている人がそう思っているほど良くない」というものである。
(あくまで長期時間軸での想定であるため、短期的に切り取ると振れ幅は大きいものとなる。いずれにせよ、直線的な悲観論も楽観論も、現実の複雑な経済循環を捉えきれてはいないと捉えている。)
あえて一言で言えば、全体として見ると「ぬるま湯のギリギリスタグフレーション」といったところだろう。
その上で、2026年後半はここからの転換点をどう読むかが重要になると考えている。
これまでのインフレは、地政学的要因などにより石油等のエネルギー資源が(安価に)入ってこないことを起点としたコストプッシュ型のインフレであった。
この地政学的な制約については、今後は各国・各社のサプライチェーンの冗長性の向上を含め少なくとも一定程度以上の緩和というのを頭に入れている。
そして、もしそうなれば、これまで物価高で抑圧されていた需要が一気に噴出し、デマンドプル(需要過多)型のインフレのような動きを示す可能性があると捉えている。
(例えば、AI関連で起こっているサービス利用料金の上昇傾向(トークン利用料金の実質的な上昇)は、もちろんハイパースケーラーたちのキャッシュフロー等の理由も多分に含まれている上で、この需要過多も生じているものと捉えている。)
問題は、その先である。
ここで問われるのは「その需要を継続的に支えるカネはどこにあるのか」という点である。
大半の中小企業や個人、あるいは政府の債務余力は、既に限界に近付いていると妄想している。これが仮に正だとすると、需要の爆発が起きたとしても、それを長期にわたって支える実体的な購買力が存在しないということが起こり得る。
とどのつまり、需要が盛り上がったとしてもそれは短命に終わり、どこかで必ず消費者が価格について行けなくなるラインに激突するということである。
需要が減少に転じたとき、市場で起きるのは需要減少からの価格競争、そしてそれに伴うマクロ的な信用収縮である。
ここ数年、事業の継続においていかに価格転嫁できるか(インフレに耐える力)が重要視されてきた。しかし、消費者がついてこられなくなった市場で無理な価格転嫁を続ければ顧客は離れ、価格を下げれば利益が圧迫される。
そうなると、単純に価格転嫁できるかどうかも重要だが、それ以上に「財務体力」の方が問われるのではないかと思う。
需要が細り、一時的な赤字を許容してでもシェアを維持しなければならない局面が来たとき。あるいは、さらなる金融引き締め下で市中のマネーが枯渇し始めたとき。
即時の利益と将来の利益のプール(現預金や自己資本)を持ち、金融機関から選別されず、悪環境下でも資金を引っ張ってこれる信用力(高い質のBS)を持っておくことが命綱となるのではないか。
(調達先の分散や、有事の際の現預金の確保など、ミクロの単位での「兵糧攻め対策」ももちろん必須であると考えている。)
では、そのような信用収縮や資金枯渇のリスクを想定しながらも、私自身は方針を変えるのかと言えば、引き続き食糧・エネルギー・有体物の原材料を押さえる方針に変更はない。
需要が蒸発し、財務体力が問われる局面においては、現預金を手元に厚く持つのがセオリーではある。
しかし、資源のブロック化や世界的な分断が不可逆的に進行している以上、いざという時に「カネを出しても必要なモノが手に入らない」という事態のほうが、事業継続においてより致命傷になると捉えているためである。
どれだけ経済構造が変化し、景気循環が上下しようと、長期のサイクルにおいて最終的に人間の生活基盤を支える有体物の価値、そしてそれを確保するチャネルの価値は揺るぎないと考えている。
2026年の残り半年という時間軸でここに書いたこと全てが起こるとは考えていない上で、ここからの数年も、最も俯瞰的なところから見た方針は、このあたりの感覚をまずはベースとしている。