はじめての皆様へのご挨拶

2025年12月11日木曜日

ウェブサイトをリニューアルいたしました

この度、当事務所のウェブサイトを全面的にリニューアルいたしました。
ピボーテパートナーズウェブサイト


今回のリニューアルにあたっては、単に外観を整えるだけではなく、現在進行形で到来している「AIネイティブ時代」において、改めて弊所の存在意義と提供価値を見つめ直すことから始めました。

私たちの事業目的である「衣食住足りるは全ての基礎であり、衣食住ささやかに心弾むは豊かさの土台である。これに貢献する。」を、私たちが最も重視する「継戦能力(生き残り続ける力)」を通して実現することは不変です。

その上で、時代に合わせた私たちの「提供できる(すべき)価値・役割・機能」を定義し直しました。


パッシブ的なものやAIが市場を席巻する現代において、私たちの強みは「異常値を捉え、そこをめがけてリスクテイクする力」にあります。

新しいサイトでは、そうした私たちの姿勢を明確にお伝えするとともに、以下の事業領域について、より深く私たちの考え方や業務内容を記載しました。

  1. 小規模事業者様向けCFO・CIO受任
  2. 小規模事業者様向け事業投資
  3. 自社プロダクト(輸出物販)

これからも、綺麗事だけではない「市場のリアリスト」として、皆様の事業の永続と繁栄のために、異なる視座・視点・視野を提供してまいります。

今後とも、ピボーテパートナーズをどうぞよろしくお願い申し上げます。

2025年12月7日日曜日

感無量

我らJリーグチャンピオン 鹿島アントラーズ!


ジーコ御大にシャーレを掲げてもらえた…感無量…。


普段家では一切飲酒しないのですが、一缶だけいかせていただきました。

7年ぶり(ACL優勝以来)の勝利の美酒、至高。

これだから人生はまだまだまだまだやめられない!

2025年10月15日水曜日

金融緩和で通貨が増えても、社会や子どもたちの未来は豊かにならない

社会が豊かになるというのは、私たちが買えるモノや利用できるサービスが増えることだ。

そして、それらが、それを必要とする、あるいは望む1人でも多くの人に届くこと。

決してお金の量そのものが増えることではない。

お金の量を増やす金融政策ももちろん必要なときには必要なのだが、それはモノやサービスを生み出す「生産力」という裏付けありきである。

この例が示すように、社会に存在するモノやサービスの量が変わらないのであれば、お金の量を増やしても個々のお金の価値が薄まるだけなのだ。


生産力の裏付けなきインフレ(通貨インフレ)で恩恵を受けるのは、株式や不動産、ゴールドなどの「資産」を持つ人々だ。

そして、それらの資産には先行利益性と規模の経済性がある。

つまり、1日でも早く、1円でも多く、それらを持っている者に有利ということ。


こうした構造の中では、労働や挑戦による新しい価値創出よりも、「既にある資産」をどれだけ保有しているかが各人の経済状況を左右する。

社会学的には、経済格差が拡大すると、社会の信頼関係が失われ、犯罪や不正行為が増えるという研究もある。

治安が悪い国や地域でより若い人たちは夢や希望を持って生き生きと人生を歩むことができるものだろうか。

また、情緒的な面を置いておいたとしても、一般的に、治安の悪い国や地域というのは、経済循環が適切に回りづらいであろうことは容易に想像できる。


これはこれから社会に出る(そして、その多くは「既にある資産」を持ち合わせていない)若い人たちにとって良い構造なのだろうか?

経世済民ヲタクとして、そして2児の父として、考えさせられるのだ。

豊かさとは何か――この問いは、ますます重く感じられている。


2025年10月5日日曜日

AIは社会主義・共産主義の夢を見るか?

私は資本主義を愛しているが、しかしその一方で、もし文字通り世界中の全ての人間の内心(潜在的欲求)を正確に把握できる日が来たら、社会主義や共産主義が成立自体はし得るとも思っている。

需要と供給の完全な一致を、計画経済が実現できる可能性があるからだ。

松本氏の指摘は、AIとロボットが供給(生産)側の課題を解決する可能性を示している。

おそらくは、少なくとも一定程度、実際に現実化するのだろうと想像している。


しかし、社会システムとして成立するには、供給面以外に少なくとも3つの巨大な壁が存在すると私は考えている。

  • 第一の壁:技術的な実現可能性

    そもそも、「人間の内心をデータ化する」ことは本当に可能なのだろうか。

    これは現時点では全くの未知数であり、この技術的な壁を越えなければ、議論は始まらない。

    この不確実性があるからこそ、私は少なくとも目先、引き続き資本主義を前提としている。

  • 第二の壁:内心の自由という倫理的課題

    仮に技術的に可能になったとしても、次に倫理的な壁が立ちはだかる。

    将来、「個々人の内心の自由が侵されない形」でそのシステムが運用されるのであれば、私は受け入れることができるが、果たしてそんなことが可能なのだろうか。

  • 第三の壁:理念と自由の両立という政治的矛盾

    この倫理的な条件が最も高い壁かもしれない。

    「個人の内心の自由」を尊重する社会と、トップダウンの計画を基本とする社会主義・共産主義の理念は、本質的に相性が悪いと言わざるを得ないからだ。

    (詳しくはフリードリヒ・ハイエク先生の隷従への道を読んでください。 → "隷従への道は現代に通ず、否、今こそ通ず")

AIが生産の非効率を解消したとしても、またその先に人間の内心をデータ化できたとしても、自由という価値を守りながら絶対的平等や誰しもが平等であると認められる相対的平等を実現する道は、あまりにも険しいと想像する。

もちろん、人間というものが「個人の内心の自由なんて不要や!!」となる可能性もある。その時にはその時の人生の豊かさを見出すしかないやね。

2025年9月9日火曜日

「労働からの解放」ねぇ…?

AGI/ASIが普及した未来を想定したときのディストピアパターン(想定)の1つがこれやね。


界隈で期待される(よく目に入ってくる)「AIによる労働からの解放」というパターンについての評価はここでは置いておくとして、仮にこのツイートが示すパターンを辿るとするならば、を改めて考察(妄想)してみる。

まず、我が国というマクロの観点で見ると、私の意見はAI関係なくずっと昔から一貫して、化学とハードウェアを基幹産業として100倍プッシュするべき論者である。

これは今でも変わらないし、何ならより強く思っているくらいである。

一方、個人というミクロの観点で見ると、LLMが一定程度”使える”水準になって以降の考えは、「他人が面倒だと思う、身体と頭脳の両方を使う仕事」や「そもそもコミュニケーション自体が仕事内容である仕事」が仕事として最後まで残ることなんじゃないかと見ている。

もちろん、最終的にはこれらも全てAIが担う世界が来る可能性を否定しない。


個々人としては、究極的には、仕事”ではないこと”で人生の楽しみを見つけるということが最も重要になるのかなと思う。

しかし、そうは言っても、生きるためには必要最低限の所得・資産は必要だからね…(仮にベーシックインカムが実現するにしても、実現するまでの移行期間を乗り越えなければならない。)

そうなると、やはり何かしらの(複数の)”ムラ”を形成・所属・その発展に貢献し、できる限りの共助体制を構築・維持しておくことが重要ではないかと考えている。

自分自身が生きるという観点ももちろん込みで、難しい時代だなぁ、と心の底から感じている。


ウェブサイトをリニューアルいたしました

この度、当事務所のウェブサイトを全面的にリニューアルいたしました。 ⇒ ピボーテパートナーズウェブサイト 今回のリニューアルにあたっては、単に外観を整えるだけではなく、現在進行形で到来している「AIネイティブ時代」において、改めて弊所の存在意義と提供価値を...