はじめての皆様へのご挨拶

2025年10月15日水曜日

金融緩和で通貨が増えても、社会や子どもたちの未来は豊かにならない

社会が豊かになるというのは、私たちが買えるモノや利用できるサービスが増えることだ。

そして、それらが、それを必要とする、あるいは望む1人でも多くの人に届くこと。

決してお金の量そのものが増えることではない。

お金の量を増やす金融政策ももちろん必要なときには必要なのだが、それはモノやサービスを生み出す「生産力」という裏付けありきである。

この例が示すように、社会に存在するモノやサービスの量が変わらないのであれば、お金の量を増やしても個々のお金の価値が薄まるだけなのだ。


生産力の裏付けなきインフレ(通貨インフレ)で恩恵を受けるのは、株式や不動産、ゴールドなどの「資産」を持つ人々だ。

そして、それらの資産には先行利益性と規模の経済性がある。

つまり、1日でも早く、1円でも多く、それらを持っている者に有利ということ。


こうした構造の中では、労働や挑戦による新しい価値創出よりも、「既にある資産」をどれだけ保有しているかが各人の経済状況を左右する。

社会学的には、経済格差が拡大すると、社会の信頼関係が失われ、犯罪や不正行為が増えるという研究もある。

治安が悪い国や地域でより若い人たちは夢や希望を持って生き生きと人生を歩むことができるものだろうか。

また、情緒的な面を置いておいたとしても、一般的に、治安の悪い国や地域というのは、経済循環が適切に回りづらいであろうことは容易に想像できる。


これはこれから社会に出る(そして、その多くは「既にある資産」を持ち合わせていない)若い人たちにとって良い構造なのだろうか?

経世済民ヲタクとして、そして2児の父として、考えさせられるのだ。

豊かさとは何か――この問いは、ますます重く感じられている。


2025年10月5日日曜日

AIは社会主義・共産主義の夢を見るか?

私は資本主義を愛しているが、しかしその一方で、もし文字通り世界中の全ての人間の内心(潜在的欲求)を正確に把握できる日が来たら、社会主義や共産主義が成立自体はし得るとも思っている。

需要と供給の完全な一致を、計画経済が実現できる可能性があるからだ。

松本氏の指摘は、AIとロボットが供給(生産)側の課題を解決する可能性を示している。

おそらくは、少なくとも一定程度、実際に現実化するのだろうと想像している。


しかし、社会システムとして成立するには、供給面以外に少なくとも3つの巨大な壁が存在すると私は考えている。

  • 第一の壁:技術的な実現可能性

    そもそも、「人間の内心をデータ化する」ことは本当に可能なのだろうか。

    これは現時点では全くの未知数であり、この技術的な壁を越えなければ、議論は始まらない。

    この不確実性があるからこそ、私は少なくとも目先、引き続き資本主義を前提としている。

  • 第二の壁:内心の自由という倫理的課題

    仮に技術的に可能になったとしても、次に倫理的な壁が立ちはだかる。

    将来、「個々人の内心の自由が侵されない形」でそのシステムが運用されるのであれば、私は受け入れることができるが、果たしてそんなことが可能なのだろうか。

  • 第三の壁:理念と自由の両立という政治的矛盾

    この倫理的な条件が最も高い壁かもしれない。

    「個人の内心の自由」を尊重する社会と、トップダウンの計画を基本とする社会主義・共産主義の理念は、本質的に相性が悪いと言わざるを得ないからだ。

    (詳しくはフリードリヒ・ハイエク先生の隷従への道を読んでください。 → "隷従への道は現代に通ず、否、今こそ通ず")

AIが生産の非効率を解消したとしても、またその先に人間の内心をデータ化できたとしても、自由という価値を守りながら絶対的平等や誰しもが平等であると認められる相対的平等を実現する道は、あまりにも険しいと想像する。

もちろん、人間というものが「個人の内心の自由なんて不要や!!」となる可能性もある。その時にはその時の人生の豊かさを見出すしかないやね。

2025年9月9日火曜日

「労働からの解放」ねぇ…?

AGI/ASIが普及した未来を想定したときのディストピアパターン(想定)の1つがこれやね。


界隈で期待される(よく目に入ってくる)「AIによる労働からの解放」というパターンについての評価はここでは置いておくとして、仮にこのツイートが示すパターンを辿るとするならば、を改めて考察(妄想)してみる。

まず、我が国というマクロの観点で見ると、私の意見はAI関係なくずっと昔から一貫して、化学とハードウェアを基幹産業として100倍プッシュするべき論者である。

これは今でも変わらないし、何ならより強く思っているくらいである。

一方、個人というミクロの観点で見ると、LLMが一定程度”使える”水準になって以降の考えは、「他人が面倒だと思う、身体と頭脳の両方を使う仕事」や「そもそもコミュニケーション自体が仕事内容である仕事」が仕事として最後まで残ることなんじゃないかと見ている。

もちろん、最終的にはこれらも全てAIが担う世界が来る可能性を否定しない。


個々人としては、究極的には、仕事”ではないこと”で人生の楽しみを見つけるということが最も重要になるのかなと思う。

しかし、そうは言っても、生きるためには必要最低限の所得・資産は必要だからね…(仮にベーシックインカムが実現するにしても、実現するまでの移行期間を乗り越えなければならない。)

そうなると、やはり何かしらの(複数の)”ムラ”を形成・所属・その発展に貢献し、できる限りの共助体制を構築・維持しておくことが重要ではないかと考えている。

自分自身が生きるという観点ももちろん込みで、難しい時代だなぁ、と心の底から感じている。


2025年8月20日水曜日

若年層の雇用問題のジレンマ、凄まじそうに見えるが…(中国)

Top court clarifies mandatory social insurance payment obligation

我が国でも他の国々でも同様の議論が度々起こるし、(おそらくは少子化・高齢化下の社会においての)社会保険制度、特に老齢年金制度というものは、構造的に設計・運用が難しいものなのだろうと思うところである。

なお、企業は企業で(体力のないところを中心に)業務委託化を進める傾向を強めているというところまで含め、デジャブかなと感じる次第である。

参考: 中国における雇用問題:社会保険と若者のジレンマ [岡本信広の教育研究ブログ]

ただでさえAIその他影響による若年層の失業率が問題になっているところに、この年金問題対策で結果としてそれをさらにプッシュしてしまうというところに構造的な難しさを感じるが、さてさてどのように打開するのだろうか。

ここまで生産や消費については(米欧日で言われているよりは)我慢強く耐えてきている印象がある。雇用との綱引きでどちらが勝つか、が分水嶺となると私は見ている。

2025年7月21日月曜日

減税の熱狂の先に見える風景は?

ホンマに減税やるの?

―とまるで民意に物申すような一言から始めたが、そういった意図は全くない。

何なら、公の場で政策議論などをしようとは1ミリも思っていない。

興味の矛先は、ひとえにその効果・影響と、弊事業等のポジションの調整だ。


既にそこらじゅうで想定されている話なのでさらっと終わらせるが、仮に民意を反映した政策が100%実行されたとすると、少なくとも短期的には経済刺激と物価上昇となるだろう。そこに異論はない。

問題はその先。

ここから技術進化でディスインフレ(デフレ)のターンがそのうちいずれやってくる(だろうと想像している)のだが、そうなった場合、雇用は当然弱含みとなる。

雇用が減退すると、需要減退型のディスインフレ(デフレ)になる。そのときに経済を刺激できるだけの財政余力が残されているのかどうかは私には分からない。


コストプッシュの中でデマンドをプルしようとしていて、そのデマンドは雇用減退でプルできるだけの地力が失われていて―というのが、起こることとして1番最初に思い浮かぶこととなる。

まぁ、これはおそらくは最も最悪なパターンなので、現実は、日銀がどれだけ専門知という盾で粘る(粘りきれる)かだとか、なんだかんだ立法の場面では落ち着いたところに落ち着かせていくのかだとか、海外(特にFRB)の金融政策がどうなるかだとか―などの変数により、よりマシな未来があるのではないかと想像している。


ではこれを念頭にミクロとしてどう動くかというと、「最も最悪なパターンをケアしながら、付いて行けるだけ付いていく」というのがしばらくの考え方になるのかな、と現時点では捉えている。

(デマンドをプルするのであれば、前述の通り、デマンドをプルするのだから、しばらくは経済情勢は強い。あっ、典型的な小泉進●郎構文になってしまった…!)

割としんどいところまで来ているかもしれない肌感である消費が、それにどこまで耐えられるかどうか次第であろう。

その先は変数の動き方次第やね。


もちろん、明日以降の政局次第で掌返し上等です。

金融緩和で通貨が増えても、社会や子どもたちの未来は豊かにならない

社会が豊かになるというのは、私たちが買えるモノや利用できるサービスが増えることだ。 そして、それらが、それを必要とする、あるいは望む1人でも多くの人に届くこと。 決してお金の量そのものが増えることではない。 物凄く単純化した金融緩和がインフレになる理由 世...