私は資本主義を愛しているが、しかしその一方で、もし文字通り世界中の全ての人間の内心(潜在的欲求)を正確に把握できる日が来たら、社会主義や共産主義が成立自体はし得るとも思っている。
需要と供給の完全な一致を、計画経済が実現できる可能性があるからだ。
一概にそうとも言えませんよ。共産主義の最大の弱点は、「人は刺激がなければ働かず知恵も出さないので、計画経済は資本主義経済に勝てない」ということにありましたが、AIとロボットが産業の中核に座るようになると、状況は一変します。AIとロボットは自らの欲望とは関係なく働き続け、知恵を出し続け… https://t.co/hQFg5TrjhX
— 松本徹三 (@matsumotot68) October 3, 2025
松本氏の指摘は、AIとロボットが供給(生産)側の課題を解決する可能性を示している。
おそらくは、少なくとも一定程度、実際に現実化するのだろうと想像している。
しかし、社会システムとして成立するには、供給面以外に少なくとも3つの巨大な壁が存在すると私は考えている。
- 第一の壁:技術的な実現可能性
そもそも、「人間の内心をデータ化する」ことは本当に可能なのだろうか。
これは現時点では全くの未知数であり、この技術的な壁を越えなければ、議論は始まらない。
この不確実性があるからこそ、私は少なくとも目先、引き続き資本主義を前提としている。 - 第二の壁:内心の自由という倫理的課題
仮に技術的に可能になったとしても、次に倫理的な壁が立ちはだかる。
将来、「個々人の内心の自由が侵されない形」でそのシステムが運用されるのであれば、私は受け入れることができるが、果たしてそんなことが可能なのだろうか。 - 第三の壁:理念と自由の両立という政治的矛盾
この倫理的な条件が最も高い壁かもしれない。
「個人の内心の自由」を尊重する社会と、トップダウンの計画を基本とする社会主義・共産主義の理念は、本質的に相性が悪いと言わざるを得ないからだ。
(詳しくはフリードリヒ・ハイエク先生の隷従への道を読んでください。 → "隷従への道は現代に通ず、否、今こそ通ず")
AIが生産の非効率を解消したとしても、またその先に人間の内心をデータ化できたとしても、自由という価値を守りながら絶対的平等や誰しもが平等であると認められる相対的平等を実現する道は、あまりにも険しいと想像する。
もちろん、人間というものが「個人の内心の自由なんて不要や!!」となる可能性もある。その時にはその時の人生の豊かさを見出すしかないやね。
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