「決める(決断する)」ということは、「やることを決める」ことではなく、「やらないことを決める」ことである―ということを久々に思い起こす場面に出くわしたので改めてここに備忘しておく。
少なくとも私が学生時代の頃(15年ほど前)からずっと、「動く(行動する)」ことは絶対の正義であるという風潮が確実にある。
たしかに、動く/行動するということ自体は、ここで改めて言うまでもなく(そして、経営者/事業者であればほぼ全員が認識している通り)極めて重要なことである。
動く/行動することなしに自社や自身の課題が解決されることはほぼない。
また、自社や自身の理想や最低目安などを達することもほぼない。
これは、動く/行動することによって、自社や自身の課題がドンピシャで解決される/理想や最低目安をドンピシャで達成できる機会(要素)を探り当てているからだと理解している。
その上で、動く/行動することはできているにも関わらず、自社や自身の課題がドンピシャで解決される/理想や最低目安をドンピシャで達成できる「絶好の機会」が訪れた際に、その機会を掴むことができないパターンを往々にして見る。
このパターンにおいて、行動量の不足のために掴むことができないというものはそれほど多くないように思う。
(前述の通り、経営者/事業者はほぼ全員が行動(量)の重要性を認識しており、そもそも何かしらの形で常に行動しているものである。)
ではどういったパターンが多いかというと、絶好の機会を「掴む」ための経営資源(ヒト、カネ、モノ、ジョウホウect...)が足りないというものである。
端的に言うと、これは「動きすぎ」である。
経営者/事業者というのは、ただ動けば良いというものではない。
思考なしにただ動くだけでは、貴重な(有限である)経営資源を無限にすり減らすだけで終わる。
(なお、往々にして経営者当人/運用者当人はそのことに気付かない。)
絶好の機会を「掴む」ための余力を残しながら「動く」ということが肝要なのである。
経営/事業というものは、”キラキラしたものに流される””流行りを追うことしかできない”という者が継続的に結果を出し続けられるようなものではない。
大事なので何度も書くが、経営資源は有限である。
「全て」の施策を同時並行で高レベルに行うことができるとするならば、それはAmazonやAlphabet(Googleの親会社)などの、資本が実質的に無限にある、極限られた企業のみである。
自社や自身がその水準にないのであるならば、貴重な有限の経営資源をどこに配分するか、即ち、どこには配分”しない”のか、ということを決めることが「経営者/事業者の(にしかできない)お仕事」となるのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿