高校時代に2年生から卒業までの2年間を担任していただいた恩師が、昨年お亡くなりになっていたことを母校の同窓会報で知った。
病気で一度休養し、復帰していたということは知っていたので、てっきりご快復されたのだとばかり思っていた。
あまりにも若すぎる訃報に心から驚いている。
(休養も復帰も母校の同窓会報で知ったことだが…小中高大を通して各卒業後は”僕は友達が少ない”もので、同窓の情報はほぼ皆無なのである。)
思春期という極めて難しい時期、それも男子ばかりのクラス(男子校だった)を受け持つには、このくらいの厳しさでちょうど良いんだよと親になった今だからこそ思うが、在学中は当然、「もうちょい優しい先生がええなぁ…」などと思っていたものである。
(先生、本当にすみません。)
卒業が近付くとあの鬼のような厳しさが緩み、「あ、こんな冗談も言うんですね」「あ、こんくらいならイジっても良いんですね(良くない)」みたいな―本当に朗らかな一面を見せてくれた。
今ではあんなに怖かった「鬼の怖さ」よりも、そういった朗らかな姿の方が記憶により残っている。
当時、幼稚園に入るか入らないかくらいの娘さんの話をよくしていた。奥様の話も。
ご家族を本当に愛されているのだな、と思春期心に思った記憶が最も強く残っている。
実際にご家族の前でどうだったかはほぼ存じない(文化祭にご家族も来られてたので少し知っている)し、その後ご家族がどういったことを思われる人生を歩んだかも全く存じない。
それでも、父親の記憶がない私に「父親像」というものの1つを見せてくれたこの上なく貴重な存在であったと、今ふと思った。
そんな私にも妻ができ、娘息子に恵まれ、最低限生きていく分のお金はありがたいことに得ることができるようになり―そしてちょうどちょっとした時間もできたこの時に先生の訃報を知る―というのは、(ちょうど様々見つめ直していたのでなおさら感じるということだが)様々きちんと哲学しなさいという思し召しなのかもしれない。
人の一生は、自分が事前に計算しているよりも短く、そして人の最期までの歩みは、自分が想像しているよりも遥かに長い―というのが私の「命の長さ」に対する人生観である。
そばで賑やかに戯れる妻・娘・息子を眺めながら、この幸せを噛み締めながら最期に何を残したいかを改めて思い起こした休日となった。