はじめての皆様へのご挨拶

2025年5月21日水曜日

本当に久々にIT技術でいじくり回したいものが出てきた

Google I/O 2025: 研究が現実に

寝て起きたらProject Mariner実装キテタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!


私の基本的な立ち位置は明確だ。

それは、「必要なものは、いずれAlphabet(Google)が一般ユーザー向けに洗練された形で提供してくれるから、私のような庶民はものすごいスピードで数多出てくる最先端の技術に焦って飛びつかずとも、その完成を待てば良い」というものだ。

それでも、エージェントは試してみたかった。平々凡々かつ面倒くさがりの私にとって、これほどありがたい技術はない。

ようやくきたきたこれこれwktk!!!!!という心境である。


Alphabet先生、私のGeminiくんへの実装はよはよ!無限に遊ぶんだから!


2025年5月19日月曜日

情報収集屋・情報整理屋から、情報の品質管理屋へ

品質管理業務は数も質も高まっていくのではないかと思う。


この動向は、AIがある種のタスクを代替する一方で、人間だからこそ担える、あるいは、人間が担うことで新たな価値が生まれる領域というのが少しずつ顕在化してきている一端かもしれないと捉えている。

最近の仮説(妄想)として、これからのホワイトカラーの重要な役割の一つは、知識や情報を原材料とした成果物の「品質管理」になっていくのではないかと思い出している。

もう少し具体的に言うと、AIが生成する情報の洪水の中で、何が正しく、何が信頼でき、何を使うべきかを判断し、その品質を維持・向上させるということである。


AIは大量かつ効率的に情報を集め、整理し、成果物を生成する。

これは本当に便利だし、その質も(チューニングの妙を含め)どんどん向上していくだろう。パーソナライズ等も完璧にこなしてくれる。既に現時点でも、私のような並の人間が出すよりも遥かに良い成果物を生成する。

その裏側で、AIによるフィルタリングやパーソナライズもどんどん進むと想像している。また、人々の多くはそのフィルタリングやパーソナライズを違和感なく受け入れるだろうし、そういったことに疑問等を持つこともないのではないかと想像する。

そうなると、私たちは、自分が関心のある情報や自分の考えに近い情報ばかりに触れることになりやすくなる。

AIが高度化し、社会や生活に浸透すればするほど、この「エコーチェンバー」現象は強化されていくだろうと考える。これまでに巷で言われ続けてきたSNSなんてものではない、次元の違う水準で、自分にとって心地よい情報ばかりに囲まれ、異なる意見や視点に触れる機会が減るだろう。

このエコーチェンバーの中に閉じこもってしまうと、社会やビジネスの全体像を見誤ったり、リスクに気づけなくなったりするだろう。

結果、「それっぽい判断/決断」はより簡単にできるようになっていく一方、偏った判断/決断による命取りが生まれるケースが今よりも多くなるのではないかと妄想している。


品質管理が重要になる、といっても、そこで必要とされる能力は、付け焼刃では通用しない。「実務技能・実務能力・実務経験」が必要不可欠な領域だと思うからだ。

難しいなぁと思うのが、AIが様々な知識労働を代替するようになると、かつてはそうした実務を通じてスキルや経験を積めたはずの機会が減ってしまう。肝心の実務技能・実務能力・実務経験をどうやって獲得するんだ?という問題が出てくると思っている。

オンライン講座などで知識は学ぶことができる。生成AIに聞けばそれなりの答えも返ってくる。しかし、現場で実際に手を動かし、頭を悩ませ、失敗から学び、体で覚えるような「実務力」は、座学やAIからの回答だけではなかなか身につかないと私は思う。

では、どうすればいいかというと、私はハイブリッドなアプローチが必要なのかなと考えている。

前述のとおり、AIは(もちろん使い方によるが)極めて優秀だ。これを使わない手はない。AIを相棒のように使い、量と速さを最大限に出すこと(あるいは、そういったことが成果とされる物事に)はもはやベースとなるだろう。

一方で、それと並行して、あるいはそれを補完する形で、「自分自身の頭と体を使って回答を出すこと」も意識的にやっていく必要があるのではないか。


これからのホワイトカラーは、単に知識を持っているだけでなく、AIを使いこなしながらも、そのアウトプットの「品質」を保証し、エコーチェンバーに陥ることなく、多角的な視点を持って、責任ある判断を下せるかどうかが問われる時代になると思っている。

責任感と信用力がこれまで以上に力となるのかもしれないね。


2025年5月17日土曜日

雑多なメモ (202504-)

2025/5/17


2025/5/30


2025年5月7日水曜日

AI時代のFOMO

It's the FOMO!!


新しい技術、革新的な技術、ゲームチェンジを起こす可能性がある情報技術が登場するたびに、「乗り遅れてはいけない」「今すぐマスターしなければ」という声が大きくなる。

インターネット、スマートフォン、ソーシャルネットワーク、暗号資産、メタバース…これまでにも何十度と見てきた光景だ。

毎度毎度「今回は(それまでの技術革新のインパクトとは)全く異なる、異次元のものだ!」という言葉が発せられるのも全く同じくである。「これまでにない!」という言葉こそ、これまでに聞き飽きている矛盾を感じる。

もちろん、この世に生まれた技術は不可逆で、なくなることはないし、あらゆる技術は程度問題こそあれいずれ世界中で使われるようになるものだと思っている。

(生成)AIに関しても、インターネットやスマホなどと同程度、あるいは超えていく可能性が十分あると捉えているし、根本的・抜本的なゲームチェンジの可能性を秘めているものであるとも捉えている。


こうした状況を傍観していていつも思うのは、古今東西、人間というものは「最先端追い病」にかかりやすい生き物だということだ。

これは、新しいものへの純粋な好奇心や探求心に加え、「Fear Of Missing Out(FOMO)」、つまり「取り残されたくない」「時代の流れに乗り遅れたくない」という潜在的な不安が合わさって生まれる現象なのだろうと思う。

もちろん、新しい技術や情報をキャッチアップすることは極めて重要だ。しかし、そこに「飛びつく」「考えなく踊らされる」と、無駄にHP(体力や時間)とMP(精神力や持続力)が削られ、今後やってくるであろうより重要な場面でそれらが尽きている―ということになるのではないかと思う。


私の個人的な考えとしては、こういう時こそ「哲学と妄想」が大事だと考えている。

自身の哲学に照らし合わせ、「長期的に見てどういった世界・社会が到来するのか?」と、じっくりと妄想を巡らせてみる。そして、自身の限られたHPとMPを、本当に価値があると思える場所に温存しておく。

言うは易く行うは難し。これには相当な「胆力」が必要だ。

周りが騒いでいる中で、冷静に、そして長期的な視点で物事を考える。これは、誰にでも簡単にできることではないからだ。

しかし、だからこそ、それができる人は、流されることなく自身の道を切り開き、結果として確かなものを掴むことができるのではないかと思う。


大事なことなので2回、(生成)AI自体は素晴らしい技術であり、今後も進化し、社会に浸透していくことは間違いないと捉えている。

その可能性に目を向け、楽しんで取り入れつつも、それにどう向き合い、どう自身の活動に取り入れていくかは、自身の哲学と長期的な妄想にかかっている。

そして、その判断を支えるのは、周りに流されない確固たる「胆力」なのではないかと、強く感じている。


隷従への道は現代に通ず、否、今こそ通ず

平素からハイエク党を公言しているワタクシめ、秒で反応せざるを得なかった笑 政府が関わってくることへの警鐘:ハイエク『隷従への道』が現代に問いかけるもの これを80年以上前に主張しているハイエクの慧眼よ。 また、80余年間解決していない「市場の(負の)...