はじめての皆様へのご挨拶

2024年5月29日水曜日

経営/事業は引き算で永遠にぐるぐると回り続けるもの

以下の投稿に前後に連なる一連の投稿(スレッド)は、どれもが規模の大小に関わらず経営/事業において極めて重要な指摘となっていると考える。

その中でも特にこの投稿はそうだなと思ったので、備忘がてら引用させていただいた。


(経営)決断とは断つものを決めること(経営資源配分の最適化)、つまり引き算なのだが、まぁ(こと我が国では)なかなかできないものである。

(ひな型化できた事業構造の賞味期限はだいたい最長で20年である。故に、外部環境に合わせてグーパーチョキ(理論)していく必要があるのだが…。)


また、こちらも特に極めて重要な指摘であると思う。


小規模事業者ではリソース(私は兵站と呼んでいる)の管理が割と軽視されがちに感じる。

また、多少長く営んでいる中小企業ではビジョンのみに傾倒されがち(ビジョン以外の4つは無意識に軽視されがち)に感じる。

どれか1つが最も大事というものではなく、どれも全て等しく最も大事なのである。

故に、経営者/事業者は、この5つを永遠にぐるぐると回り続けることが役割/職務となると考えている。

2024年5月20日月曜日

金融リテラシーとは「自分自身の人生の議決権」の哲学である

経営(事業)においては、意思決定権(=議決権)と価格決定権をどれだけ持っているかというのが極めて(最も)重要なものである―というのが肌感になりすぎてしまっている。

(―という者は少ないのかなぁ?)

しかし、人生の選択権/決定権をどれだけ持っているかという概念は、一般的には重視されない(視点がない?)のかもしれない、とふと思う事象に出会った。


事業においても個々人の人生においても、(自己資金(利益剰余金)を除く)エクイティもデットもともに、その選択権/決定権の一部を他人に渡すということと同義である。

これは、元本返済および利息支払(エクイティの場合は配当の支払等)を行いながら、事業/生活を営むことが可能な程度の利益/所得を得続けることを、将来に亘って義務付けられるということであるためだ。


たしかに、外部(マクロ)環境はデフレ構造からインフレ構造へと転換し、資産や負債を「持つこと」が優位な時期に入っている。

故に、借りるということ自体を否定するものではなく、むしろ一定の借入というのは誰しもに必要不可欠であると考えている。

その一方で、一部の言説で度々見かける「借りられるなら無限に借りるのが大正義」というものについては、私は「それはない」と考える。

”利益/所得を(全く)得られないが、それでも断固やりたいこと”というものができなくなる(できる余地が狭まる)、というのは、少なくとも私にとっては不幸なことである。


大事なので何度も書くが、借りるということ自体は否定しておらず、むしろ一定の借入というのは誰しもに必要不可欠である。

その上で、自分自身の人生の議決権は確保された水準のものなのかどうか、というのを考え、その範囲内にコントロールすることが最も重要であると考えている。

なお、自分自身の人生の議決権(が確保された水準)について考えるには、自分自身の人生においてより良い人生とはどういうことなのかを自問自答することが当然に必要になるだろう。


私が考える「金融リテラシー」とは、巷で流行りの金融商品を知ることではなく(そんなことは枝葉of枝葉の取るに足りないことである。)、こうした哲学をサボらずにやるということ(また、そのために必要な、社会などを知るということ)である。

2024年5月14日火曜日

元Google+民、未だにGoogle+を惜しむ

ジャック・ドーシー、Blueskyからの離脱は「Twitterと同じ過ちを繰り返しているから」とインタビューで述べる 

「SNS」というものについては、某今は亡き赤いSNS(Google+)が完全なる完成形だと思っている。

ただし、あの形(コンセプト/構造)は当時のGoogle以外では財務が保たないであろう、故に、長く維持できない(故に、誰にもやれない)という致命的な問題があるのだが…。

この世界(の人間が生み出すもの)に完璧なものはないということだねぇ。

人類はまことに惜しいものを失ったと思っている(個人的推しがゴリゴリに入った言説であることは認める。)。

「労働からの解放」ねぇ…?

AGI/ASIが普及した未来を想定したときのディストピアパターン(想定)の1つがこれやね。 「AGI/ASIで労働から解放されてベーシックインカムで暮らす」が成り立つのは、今のところアメリカと中国だけです。日本ではほぼ実現不可能です。… — Koki Ikeda (@...