はじめての皆様へのご挨拶

2024年5月20日月曜日

金融リテラシーとは「自分自身の人生の議決権」の哲学である

経営(事業)においては、意思決定権(=議決権)と価格決定権をどれだけ持っているかというのが極めて(最も)重要なものである―というのが肌感になりすぎてしまっている。

(―という者は少ないのかなぁ?)

しかし、人生の選択権/決定権をどれだけ持っているかという概念は、一般的には重視されない(視点がない?)のかもしれない、とふと思う事象に出会った。


事業においても個々人の人生においても、(自己資金(利益剰余金)を除く)エクイティもデットもともに、その選択権/決定権の一部を他人に渡すということと同義である。

これは、元本返済および利息支払(エクイティの場合は配当の支払等)を行いながら、事業/生活を営むことが可能な程度の利益/所得を得続けることを、将来に亘って義務付けられるということであるためだ。


たしかに、外部(マクロ)環境はデフレ構造からインフレ構造へと転換し、資産や負債を「持つこと」が優位な時期に入っている。

故に、借りるということ自体を否定するものではなく、むしろ一定の借入というのは誰しもに必要不可欠であると考えている。

その一方で、一部の言説で度々見かける「借りられるなら無限に借りるのが大正義」というものについては、私は「それはない」と考える。

”利益/所得を(全く)得られないが、それでも断固やりたいこと”というものができなくなる(できる余地が狭まる)、というのは、少なくとも私にとっては不幸なことである。


大事なので何度も書くが、借りるということ自体は否定しておらず、むしろ一定の借入というのは誰しもに必要不可欠である。

その上で、自分自身の人生の議決権は確保された水準のものなのかどうか、というのを考え、その範囲内にコントロールすることが最も重要であると考えている。

なお、自分自身の人生の議決権(が確保された水準)について考えるには、自分自身の人生においてより良い人生とはどういうことなのかを自問自答することが当然に必要になるだろう。


私が考える「金融リテラシー」とは、巷で流行りの金融商品を知ることではなく(そんなことは枝葉of枝葉の取るに足りないことである。)、こうした哲学をサボらずにやるということ(また、そのために必要な、社会などを知るということ)である。

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