経営/事業、は博打ではない。かつ、経営/事業に100%確実なことは何一つとしてない。
故に、経営/事業において行うことというのはひとえに、成功を得るための試行錯誤(=思考と行動)と、失敗したときに致命傷を負わないための試行錯誤(=余力管理)、この両方のOODA-LOOPの掛け算ということになる。
前回の記事([動く/行動する教の功罪])では、動きすぎることがなぜ経営/事業に悪影響を及ぼすと私が考えているのかについて記した。
今回は、その派生で「社運を賭ける」ことを好む者が如何にして社を潰すのかについて記す。
率直に、私は「社運を賭けて―」などといった言葉を口から出す経営者/事業者というのを全く評価も信用もできない。
経営資源管理(余力管理)というのは、経営者や事業者の最も基本にして最低限の仕事の1つであると考えているためである。
この定義に照らし合わせると、社運を賭けなければならない状況を作り出した時点で、経営資源管理(余力管理)に失敗しているものと考える訳である。
また、そんな経営資源管理が「仕事」である経営者や事業者が、それすらできないにも関わらず、”一発”当てる確率など限りなく低いとも考えている。
失敗したときに致命傷を負わないための試行錯誤は比較的”計算可能な(コントロール可能な)”範囲が大きいものである一方、成功を得るための試行錯誤(=思考と行動)は”完全には計算不可能な(コントロール不可能な)”ものであるためである。
「成功はアート、失敗はサイエンス」という言葉があるが、これは私の経験知含む歴史の教訓としてそう言えるものであると確信している。
私は、「社運を賭けて―」という言葉を経営者が発した時点でその社は既に”負け確”であると考えている。
もちろん、そういった賭けを1万回試行すれば、少なくとも1回は勝つだろう。しかし、それは「経営」「事業」とは到底言えないものである。
重ね重ねとなるが、経営者・事業者(および運用者)にとって、余力管理は最も基本にして最低限の仕事の1つなのである。
リーダーシップや人心掌握、イノベーションを起こすには、などといったキラキラしたものが持て囃され、そういったことを追いたくなる時代であることは理解するが、経営者・事業者の仕事を履き違えてはならない。
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