はじめての皆様へのご挨拶

2024年7月3日水曜日

子どもたちには「一見無意味に見える何か」が大事なのだと思う

サマーズ氏: AIでプログラミングは時代遅れになる | グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート 

私自身も、プログラミングは我が娘・息子に勉強させたいとは全く思わない(はなから外している)。

(余談、一部で流行(?)の金融リテラシーに関してはさらにあり得ないという考えである。

理由はこちらの記事 ( 金融リテラシーとは「自分自身の人生の議決権」の哲学である ) の最後に記した、哲学をさせてくれる授業/教室というものが皆無(きちんと教えることができる者自体、極めて限られるだろう。)だからである。)


私は、AI(今の生成AIだけでなく、いわゆるAGIやASIが出現し、汎用的なものとなる)時代において、”人間がすること”というのは、以下のようなことあたりではないかと妄想している。

  • 自分の好みを持ち、それを表現/言語化/実現すること
  • 「なんでや/ほんまかいな/ほんまはどうしたいんや」とあらゆる物事に対して探求すること
  • 実際に体を動かし、実現に向けた行動を起こすこと

そして、こうしたことは、「具体的な(明らかに成績や成果が出る)何か」ではない、「一見無意味に見える何か(経験など)」から培われるのではないかと感じている訳である。

特に「好み」や「自分なりの好奇心(探究心)のスイッチ」などは、より感性が鋭敏な子どもの間に様々なことを感じる方が良いだろうと思っている。


大人になってから学ぶことができるものは、大人になってから学べば良いのである。

子どもたちの感性を尊重し、子どもたち自身がピンときたものをやり(ただし、そのためには、あえて自分からは興味を持たないことにも触れさせるということも必要だと思う。)、自由に自己表現できる環境を整えることこそが重要であるとこの上なく強く思う次第である。


もちろん、我が娘・息子がプログラミングを学びたいと言い出したら、1度好きにすれば良いとは思っている。

これに限っては、真正面から反対意見を伝えるけどね。

少なくとも、「で、何を作りたいんや?」である。


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