平素からハイエク党を公言しているワタクシめ、秒で反応せざるを得なかった笑
これを80年以上前に主張しているハイエクの慧眼よ。
また、80余年間解決していない「市場の(負の)外部性 vs 政府の(負の)外部性」問題というのは、人類が人類である限り永遠に解決できない課題なのかもね…とすら感じる。
なお、上記記事では米国と中国が例として取り上げられているが、我が国も他人事ではないと考えている。
今こそ1人1人が哲学すべきテーマであると心から思う。
平素からハイエク党を公言しているワタクシめ、秒で反応せざるを得なかった笑
これを80年以上前に主張しているハイエクの慧眼よ。
また、80余年間解決していない「市場の(負の)外部性 vs 政府の(負の)外部性」問題というのは、人類が人類である限り永遠に解決できない課題なのかもね…とすら感じる。
なお、上記記事では米国と中国が例として取り上げられているが、我が国も他人事ではないと考えている。
今こそ1人1人が哲学すべきテーマであると心から思う。
僕なんかもう、常々「明日は我が身」と思ってるやで…。
人間の仕事がAIに取られると人間は可処分時間が増えてラクになる~という発想がよく分からないんですが、人手が余っても可処分時間は増えないで人間の頭数を減らされるだけでしょう。日本は就職氷河期を経験してますが、要するに当時は仕事があんま無くて人手が余ってたわけですが、だったら週休3日に…
— うみゆき@AI研究 (@umiyuki_ai) June 8, 2025
氷河期やリーマンを知らない人が増えるとともに、氷河期やリーマンを生き残った人が目に見えるところでの声が大きい傾向にあることからかな、この感覚を持つことは時間が経つほどにより難しくなっていくのだろうなと思う。
経営/事業という観点でみると、これまで以上に「小さく始めて、(定義した戦域でNo.1になれないものは)さっさと撤退し、(そのふるいに残ったものは)大きく伸ばす」が重要になると思う。
また、それがより誰しもにとってより投資負荷低くできるようになっていくと思う。
アイデア(事業の種)を見つけたら、人を集める(雇う)よりも先にAI+自分自身でプロトタイプ作って、極小予算で広告かけて、コンバージョン取れたらその感覚に応じて(ようやくこの段階で)必要最小限の人を集める―みたいになっていく。
(まぁ、既にどこででも言われてることですね。)
「アイデア(事業の種)を見つけたら―」は誰しもが言ってるだけに、この部分では差は付かないでしょう。やるかやらないかだけだし、やる人間は増えるでしょうし。
そうなると、どこで差分が付くかというと、撤退判断。
「AI+自分自身」の段階で撤退できるかどうかの嗅覚と決断力(進みたいバイアスにかかる自分を否とできるかどうか)がより大事になっていくと思っている。
そうなると、損切りの美学を持ってる人は有利かもしれない。
「小さく入って、パッと損切り、押し目で増やして、のんびり利食い。」。
ある”市場の人”の言葉だ。市場はあらゆることを教えてくれる…かもしれない。
寝て起きたらProject Mariner実装キテタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
私の基本的な立ち位置は明確だ。
それは、「必要なものは、いずれAlphabet(Google)が一般ユーザー向けに洗練された形で提供してくれるから、私のような庶民はものすごいスピードで数多出てくる最先端の技術に焦って飛びつかずとも、その完成を待てば良い」というものだ。
それでも、エージェントは試してみたかった。平々凡々かつ面倒くさがりの私にとって、これほどありがたい技術はない。
ようやくきたきたこれこれwktk!!!!!という心境である。
Alphabet先生、私のGeminiくんへの実装はよはよ!無限に遊ぶんだから!
品質管理業務は数も質も高まっていくのではないかと思う。
翻訳・通訳業はAIの影響で仕事を失う人が多いのでは?と思っていたけれど、むしろ需要が増えているという調査結果が興味深かった。
— 長屋智揮 | シノビクス@オウンドメディア支援 (@gayan_x) May 18, 2025
翻訳業界は20年以上前から機械翻訳の波にさらされてきた業界ですが、それにもかかわらず、市場規模は拡大を続け、むしろ収入機会は増加しているようです。… pic.twitter.com/5txpdsFQRY
この動向は、AIがある種のタスクを代替する一方で、人間だからこそ担える、あるいは、人間が担うことで新たな価値が生まれる領域というのが少しずつ顕在化してきている一端かもしれないと捉えている。
最近の仮説(妄想)として、これからのホワイトカラーの重要な役割の一つは、知識や情報を原材料とした成果物の「品質管理」になっていくのではないかと思い出している。
もう少し具体的に言うと、AIが生成する情報の洪水の中で、何が正しく、何が信頼でき、何を使うべきかを判断し、その品質を維持・向上させるということである。
AIは大量かつ効率的に情報を集め、整理し、成果物を生成する。
これは本当に便利だし、その質も(チューニングの妙を含め)どんどん向上していくだろう。パーソナライズ等も完璧にこなしてくれる。既に現時点でも、私のような並の人間が出すよりも遥かに良い成果物を生成する。
その裏側で、AIによるフィルタリングやパーソナライズもどんどん進むと想像している。また、人々の多くはそのフィルタリングやパーソナライズを違和感なく受け入れるだろうし、そういったことに疑問等を持つこともないのではないかと想像する。
そうなると、私たちは、自分が関心のある情報や自分の考えに近い情報ばかりに触れることになりやすくなる。
AIが高度化し、社会や生活に浸透すればするほど、この「エコーチェンバー」現象は強化されていくだろうと考える。これまでに巷で言われ続けてきたSNSなんてものではない、次元の違う水準で、自分にとって心地よい情報ばかりに囲まれ、異なる意見や視点に触れる機会が減るだろう。
このエコーチェンバーの中に閉じこもってしまうと、社会やビジネスの全体像を見誤ったり、リスクに気づけなくなったりするだろう。
結果、「それっぽい判断/決断」はより簡単にできるようになっていく一方、偏った判断/決断による命取りが生まれるケースが今よりも多くなるのではないかと妄想している。
品質管理が重要になる、といっても、そこで必要とされる能力は、付け焼刃では通用しない。「実務技能・実務能力・実務経験」が必要不可欠な領域だと思うからだ。
難しいなぁと思うのが、AIが様々な知識労働を代替するようになると、かつてはそうした実務を通じてスキルや経験を積めたはずの機会が減ってしまう。肝心の実務技能・実務能力・実務経験をどうやって獲得するんだ?という問題が出てくると思っている。
オンライン講座などで知識は学ぶことができる。生成AIに聞けばそれなりの答えも返ってくる。しかし、現場で実際に手を動かし、頭を悩ませ、失敗から学び、体で覚えるような「実務力」は、座学やAIからの回答だけではなかなか身につかないと私は思う。
では、どうすればいいかというと、私はハイブリッドなアプローチが必要なのかなと考えている。
前述のとおり、AIは(もちろん使い方によるが)極めて優秀だ。これを使わない手はない。AIを相棒のように使い、量と速さを最大限に出すこと(あるいは、そういったことが成果とされる物事に)はもはやベースとなるだろう。
一方で、それと並行して、あるいはそれを補完する形で、「自分自身の頭と体を使って回答を出すこと」も意識的にやっていく必要があるのではないか。
これからのホワイトカラーは、単に知識を持っているだけでなく、AIを使いこなしながらも、そのアウトプットの「品質」を保証し、エコーチェンバーに陥ることなく、多角的な視点を持って、責任ある判断を下せるかどうかが問われる時代になると思っている。
責任感と信用力がこれまで以上に力となるのかもしれないね。
It's the FOMO!!
「CursorとDevinをマスターせねば」という意見もわかる。でも、99.99%の確率で「スーパー過当競争」になる分野で、いま技術習得をしてもアドバンテージがほぼ取れないのではないか…と思う。
— 深津 貴之 / THE GUILD (@fladdict) May 6, 2025
時間リソースが限定される環境下で、生成AI時代の資源投下としてそこが適切なのかどうか
リソース100あったら、Devinそのものに使うのは20ぐらいにして、「80はDevinで使う先の世界」に投資したほうがよい感
— 深津 貴之 / THE GUILD (@fladdict) May 6, 2025
新しい技術、革新的な技術、ゲームチェンジを起こす可能性がある情報技術が登場するたびに、「乗り遅れてはいけない」「今すぐマスターしなければ」という声が大きくなる。
インターネット、スマートフォン、ソーシャルネットワーク、暗号資産、メタバース…これまでにも何十度と見てきた光景だ。
毎度毎度「今回は(それまでの技術革新のインパクトとは)全く異なる、異次元のものだ!」という言葉が発せられるのも全く同じくである。「これまでにない!」という言葉こそ、これまでに聞き飽きている矛盾を感じる。
もちろん、この世に生まれた技術は不可逆で、なくなることはないし、あらゆる技術は程度問題こそあれいずれ世界中で使われるようになるものだと思っている。
(生成)AIに関しても、インターネットやスマホなどと同程度、あるいは超えていく可能性が十分あると捉えているし、根本的・抜本的なゲームチェンジの可能性を秘めているものであるとも捉えている。
こうした状況を傍観していていつも思うのは、古今東西、人間というものは「最先端追い病」にかかりやすい生き物だということだ。
これは、新しいものへの純粋な好奇心や探求心に加え、「Fear Of Missing Out(FOMO)」、つまり「取り残されたくない」「時代の流れに乗り遅れたくない」という潜在的な不安が合わさって生まれる現象なのだろうと思う。
もちろん、新しい技術や情報をキャッチアップすることは極めて重要だ。しかし、そこに「飛びつく」「考えなく踊らされる」と、無駄にHP(体力や時間)とMP(精神力や持続力)が削られ、今後やってくるであろうより重要な場面でそれらが尽きている―ということになるのではないかと思う。
私の個人的な考えとしては、こういう時こそ「哲学と妄想」が大事だと考えている。
自身の哲学に照らし合わせ、「長期的に見てどういった世界・社会が到来するのか?」と、じっくりと妄想を巡らせてみる。そして、自身の限られたHPとMPを、本当に価値があると思える場所に温存しておく。
言うは易く行うは難し。これには相当な「胆力」が必要だ。
周りが騒いでいる中で、冷静に、そして長期的な視点で物事を考える。これは、誰にでも簡単にできることではないからだ。
しかし、だからこそ、それができる人は、流されることなく自身の道を切り開き、結果として確かなものを掴むことができるのではないかと思う。
大事なことなので2回、(生成)AI自体は素晴らしい技術であり、今後も進化し、社会に浸透していくことは間違いないと捉えている。
その可能性に目を向け、楽しんで取り入れつつも、それにどう向き合い、どう自身の活動に取り入れていくかは、自身の哲学と長期的な妄想にかかっている。
そして、その判断を支えるのは、周りに流されない確固たる「胆力」なのではないかと、強く感じている。
私の超長期時間軸でのマクロ(環境)に対する大まかな考え方は、「いつまでも あると思うな 親とドル基軸通貨体制」である。
(Xには2022年3月から度々書いてきた(いる)が、そういえば本ブログでは書いていなかったね。)
もう少し具体的に記すと、近世以降の法定通貨のざっくりとした変遷は一般的に「金本位制→管理通貨制」であるとされるが、私は「金本位制→石油本位制」という視点で捉えている。
この認識の背景には、イラクのフセイン元政権がドル決済体制に異を唱えるまで、石油取引がドルによって事実上、独占されていたものと見ているというのがある。
ではこれが今後どうなっていくかと考えると、私は、石油本位制から穀物本位制、あるいは新エネルギー(原子力資源、ただし、原子力技術そのものではない)本位制へと移行していくのではないかと妄想している。
仮に万一、穀物本位制あるいは新エネルギー本位制へ移行した場合において、米国はこれまで通りその決済システムを掌握し続けることができるだろうか。
そうした頭で我が国を振り返ると、穀物や原子力資源の確保・維持はどの程度できているだろうか。
私は決して楽観視できないものと捉えている。
ミクロの視点では、原子力資源について中小企業や小規模事業者レベルで何かアクションを起こすことは極めて難しいが、穀物の方は何か実行可能な取り組みがあるのではないかと考えている。
余談、今は価格が上がり続けている金ですらも、冷静に見てどうなんだろうね、と思っている。それでも、法定通貨よりマシだとは思うけど。
書こう書こうと思いながらもう3月。遅ればせながら、毎年恒例の経済関係の仮説を。
2020年4月以降続いている「前門の信用収縮(=経済情勢(大)悪化)、後門の過剰流動性(高インフレ)」という複雑な状況は、今年さらに深刻化し、難しい舵取りが求められる1年になると考えている。
世界経済は、各国/各地域の中央銀行や政府の政策次第では、高インフレが再燃し、その上で景気後退が顕在化する可能性がある。
特に、今年後半以降は、金融危機や大規模なデフォルトといった致命的な経済状況の悪化が顕在化するリスクを考慮しておく必要があると考えている。
このような状況を踏まえ、私は2025年を「リスクオフに備え、自らのポジションのディフェンシブ度合いを強化する年」と位置付けている。具体的には、以下のような方針である。
経済状況の悪化がいつ来るかは不確実で、かつ、誰にも分からないものであるが、いずれにせよ早めの準備が重要である。
事業のピボットには時間がかかるため、常に先を見据え、変化に柔軟に対応できる体制を構築しておく必要があると考えている。
生成AIのお陰で必要とされる判断量が激増して死ぬほど忙しくなった話(山本一郎(やまもといちろう))
改めて、確かにそうだと感じるところ、これまでの想定が実証されていると感じるところを、今後の自身の方向性を考える上での備忘録として書き留める。
「『AIで置き換えの効く、60点ぐらいでいい仕事』はどんどん無くなって人を雇わなくなって」という点はこれまでにも想定されてきたことだ。
また、「むしろ『60点を100点近くまで引き上げる作業』と『素材は集まるけどこれを価値に転換する死ぬほど考える作業』が発生」というのも、上記の延長線上で想定されてきたことである。
そして、以下の2点は、その発生する作業の具体例である。
この「誰か(の心を)を動かす」職務というのは、あらゆる職業において、今後も(少なくとも当面は)なくなることはないと考えている。
いつの時代においても、「誰か(の心を)を動かす」技能(突き詰めれば人間性に行き着くが)は普遍的な価値を持つと確信している。
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