はじめての皆様へのご挨拶

2024年12月31日火曜日

[年末の御挨拶] 2024年を振り返る

昨年末、2024年は少し休憩気味にぼちぼちいくと宣言した。

長く戦い続けるためのHPやMPの貯留期間であると直感したためだ。


それで実際はどうなったかというと、前半、具体的には6月までは、本当にぼちぼちと休憩しながら、仕事はきちんとこなすという時間を過ごした。

弊所自身の事業・各関与先のどれもが、状況が多少落ち着いていた時期だったことも大きい。HPやMPはしっかりと充填された。大変ありがたいことであった。


後半(7月以降)は一転、そこそこパワーを出していくこととなった。


まず、弊所自身の事業で、展開国を1つ増やした。

既にベースがあるとはいえ、新たな国・地域に進出するというのは、やはり新たな課題が出てくるものである。

これに対して経営資源をそれほど投入している訳ではないが、それでも上半期よりは当然ペースを上げて取り組むこととなった。

(なお、まだ軌道には乗っておらず、課題は山積している。)


次に、各関与先で、新たな課題に直面する社が2、3社出てきた。

環境に合わせて少しずつ事業を変化させていく中で、すんなり上手くいくこともあれば、なかなか上手く行かないこともあったりという、成長痛な時期が到来したということだ。

もちろん、こちらに関しては明確に力を入れて取り組んだ。

(こちらも、それぞれまだ軌道には乗っておらず、課題は依然として山積している。)


出資家としては相変わらずで、本年も良き出資先に巡り合うことができた。心より感謝している。

出資先の皆様、共に頑張りましょう。


2025年はこの2024年後半に生まれた課題を1つずつ潰すというところがまずは最優先となる。

潰しきった先、その後どうするかはあまり考えていない。

1案件(関与先)増やすかもしれないし、弊所自身の事業により注力するかもしれないし、出資方面をより積極化するかもしれない―その時に吹いている風次第である。


ただ、どういった形であれ、「自分自身が小規模の実業を営み続けるとともに、小規模の実業を営む方々と共闘するということをずっと続けていく」ということは意地でも続ける。

それが弊事業哲学だから、ね。

2024年12月28日土曜日

2024年の想定を振り返る

今年も残すところあとわずかとなった。

1年を振り返る時期ということで、2024年の経済循環の想定としてきたものを振り返る。


まずは年初(2024/1/30「2024年の想定」)のものについて。

想定1:東京圏における賃金インフレ

→想定通り、一定の賃金インフレが見られた。実際に大企業を中心に賃上げが行われ、中小企業でも東京圏を中心に一定の賃上げが見られた。

想定2:日銀のマイナス金利解除とその先の金融引締の慎重姿勢

→概ね想定通り、日銀がマイナス金利を解除した上で、その後は追加の引き締めは1度は行ったものの、結局は慎重な姿勢に転換・維持している。市場の反応については、想定と若干異なり、一時的にある程度急激な変動は見られたものの、過剰な価格形成とまでは至っていないように見える。

想定3:東京圏とそれ以外の地域との乖離拡大

→想定したほどの大きな乖離には至らなかった。東京圏とそれ以外の地域で経済状況に差が見られる状況は継続しているが、東京圏以外で明確にはディスインフレが実現しなかった。


次に7月(2024/7/25「2024年下半期~2025年夏あたりまでの超ざっくり想定」)のものについて

想定:法定通貨価値(≒物価)は、ディスインフレからのインフレ再燃、経済情勢は、(現状横ばい~やや下方向と捉えているところからの)一旦上向いた後、下方向転換

→概ね想定通り、一時適度なインフレ(ディスインフレ)で推移した上で、年末は再び円安方向に向かっている(ただし、国民全体としての体感は、適度なインフレ下という認識ではなく、高インフレであるという認識が強いと思う。)。経済情勢は、数値上は横ばい~上向きで推移しているが、上記の想定は2025年夏までの時間軸であるため、今後の下方向への転換があれば想定通りとなる。


全体的には、特に経済循環の想定について、完璧ではなかったものの、大外れはしなかったというところではないかと捉えている。

一方で、市場の反応(具体的な値動き)の想定については、考えていたよりも落ち着いていた/明らかに上だった点、率直に個人の”イケイケドンドン”を甘く見ていたものによる。

個人的には、裸のリスクテイクについては「やってしまった後悔よりやらなかった後悔」だと強く思う。多少置いていかれて最高のパフォーマンスとは言えなかったとしても、それなりのパフォーマンスを上げられたのであれば、まずは及第点を付けると良いと考えている。

2024年12月14日土曜日

これだから乃木坂工事中はやめられない

10代20代に必死に何かに取り組んで得た”何か”というのは、まことに何物にも代えがたい最高の財産(無形資産)だとあらためて思った(思い出させてくれた)。


練習の様子も収録されている番組本編はこちら。

(トップ校の指導が垣間見れるというのは貴重だとも思った。さすがの厳しさやね。)


ここからは無粋な話になるが、この財産を獲得したかどうかというのは、30代中盤を過ぎたあたりからの地力の差に現れてくると感じている。

特に、仲間と協働して何かを成し遂げた喜び、あるいは成し遂げられなかった悔しさ―などというものは、その後の人生におけるバイタリティ(活力)に直結しているように思う。

もし自分自身の娘・息子に若いうちにどういったことをしてほしいかと聞かれたら、何か1つでも仲間と共に一生懸命に取り組めることを見つけてほしいと答える。

(もちろん、娘・息子に無理強いする気は毛頭ない。)


みんながみんなやれとは全く思わない(そもそも他人の人生の選択に興味がない)上で、もし10代20代の方々から経験知を何か伝えてくれないかと聞かれたら、私は「何か1つでも誰かと共に一生懸命に取り組んだと堂々と胸を張って言える経験を作ろう」と伝える。

特に、いわゆるFIREに憧れを抱いている方々や、経営者や投資家を目指している方々に、極めて重要なことの1つだと思っている。


2024年12月5日木曜日

我が国、国際情勢の激動に適応できていないように見えるが…

全世界中津々浦々、2024年は選挙イヤーだったね。

(ドイツが2025年1月~3月に総選挙やるし、2024年度という括りで見るともう少し続くが。)


結果はここで私が言うまでもなく、2023年以前とは全く異なる勢力図が描かれることとなった。

おそらくは、ドイツも同様または類似の結果となるのだろう。


国際情勢(米欧も含む各国政権の外交安保の考え方)も激しく変化している。

しかし、それにも関わらず、我が国国内では宇露戦争勃発時点から、現状認識やそこから来る仮説や行動方針にあまり変化がない(変化量が小さい)ように私には見えている。

露が押しきって世界中が手のひらを返してしまうパターン(たしかに、我が国の価値観とは相容れない経過・結果である。)に対し、想定していなかったというのはある程度致し方ない。

その反面、今現在起こっていることに対して柔軟に変化に適応するということは極めて重要だし、また、国家としてそれはして然るべきことであると思う。


率直な私個人の感想を申し上げると、我が国の孤立を危惧している。

平和の継続を心から願うばかりだ。

2024年11月8日金曜日

お金、時間、頭、今この瞬間にどれを使うかは自分自身の哲学に拠る


若ければ若いほど、楽しみや自由といったものをお金ではなく時間と頭で手に入れた数と質というのが、直接的に(無形)資産になると感じている。

上掲のXポストとは文脈が異なるが、経営者も投資家も(たぶん被雇用者であっても)、若い頃にお金”ではない”ものを如何にやり繰りしたか、というところで伸び代が全く違うものと感じる。

(10代20代の「お金」だけで逃げ切れるなら、もちろん話は違ってくる。)


私自身は、良くも悪くも統計上の余命が約45年ある者である。

今20歳の方だと、統計上の余命は約60年ある。

統計(平均)が全てではないし、かつ、人生は統計や平均がモノを言ってくれないものだが、それでも、数字上はそのくらい長い時間を生きてしまうものなのだということを頭に入れておく必要がある。

そして、私は、この長い(そしておそらくはあっという間の)時間をどのように戦うか、というところに焦点を当てている。


40年を戦うなら、40年を戦えるだけの何かが必要である。

いやそうでなく、10年で戦い切るというなら、そういう戦い方となる。

明確に自分自身で分かった上でやる分には、どちらも正解となる(正しくは、「自分自身で最後の最後に正解にできる」であるが。)。

(近年稀によく目にするのが、「自分自身がベットしているものの中身」をきちんと理解していない言説である。

その中身を理解していないにも関わらずそれにそうベットしてんの?という言説が多いことには、正直、多少辟易していたりする…。)


もし、40年を戦う想定の場合において、時間と頭を使って身に付ける対象が”お金”であるなら、”お金”というもの(の哲学)に全身全霊打ち込んでみたら良いと思う。

時間軸が長くなればなるほど、ライトな金融リテラシー()論はいつか必ず足元を掬うだろう。

そのときに、あなたにその金融リテラシー()を吹き込んだ”誰か”は、おそらくはもうこの世にはいないのだ。

2024年9月28日土曜日

次期総理決定、(日銀の独立性を尊重できる方であるという点については)私はポジティブに捉えている

経世済民という深淵を覗けば覗くほどに発言等々が日銀文学と化していくのは自然なことなのかもしれないと最近思う。

いちプレイヤーのあたしみたいな者はそれでも許されるが、日銀ともなるとそれすらも叱られる―

政治政策(世論に応える)とは実に難しい物事だなぁ(やや他人事


経済への刺激が必要なんてことは一生永遠に無限にそう(言われ続ける)なのだ。

その上で、国民や企業や社会や…を見ながら金融システム(とどのつまりは通貨価値)をより良い状態に誘導する(なおそんな簡単に誘導できる類のものではない)―

無理ゲーやろ、少なくともあたしがやれと言われたら無理ゲーですわ笑


市場原理を相当歪めてでも人間の(得てして強)欲を満たし続けるということが最適解なのかどうかはあたしには分からない(率直に、懐疑的である。)。

ただ、他国等がそうしている中では価値観等が変化しがたい(少なくとも、体感相当ゆっくり変化していく)ことを鑑みると、ある程度までは致し方ないのかなとも感じる。


1つ言えるのは、市場原理主義というのは「人間(の力)を信じる」立場であるということ。

”見えざる手”だけ知る/教える/取り上げるというのは片手落ちが過ぎるのです。

あれは道徳感情論と1セット(何なら道徳感情論の方が大事)なのよ。


率直に、次期総理在任期間は誰が総理をやっても株価は下方向だと想定している。

故に、次期政権および日銀には、市場のポジショントークなど素無視して、真に経世済民となる政策を進めていただきたいと切に願っている。

超長期的には、それが最も私の事業ポートフォリオの実質資産価値を高めてくれるものと”信じている”からね。

2024年9月9日月曜日

北風と太陽

トランプ氏、脱ドル化の国々に100%の輸入関税賦課へ-返り咲きなら

こと経済(の把握)に関してはトランプは的確。

世界が脱ドル化の方向に向かっていることを少なくとも認識はしている。

(その解決策がこれというのは…なのだが…)

(まぁ、言っても選挙向けのリップサービスだとは思う…とはいえ、実際に多少は上げないと完全な公約違反となるから、多少は上げることになるのだろうなとも思う。)


「通貨」というものは、「安定的(に使用/貯蓄できる)か」ということが最も重要である。

それに反する行為を行えば行うほどに、使用人口は減る(少なくとも増えない)ものであると考えている。

例えば、ロシアに対するドル資産制裁の結果(非米欧日諸国の脱ドル化の腹を決めさせた)を見ていても分かると思う。(これに関してはまことに「北風と太陽」となったね。瀬谷殻(以下略))

また、私自身の「どれだけ某国が世界で最も利益を生み出す国になったとしても」人民元資産は極力避けたいなぁ…というスタンスも、根は同じである。

故に、上記政策が仮に本当に実行されると、トランプの意図とは真逆に、さらに脱ドル化を加速させることになるものと想定している訳だ。


現状は、本当に心から積極的に”ベット”したい国/地域がない。

本当はどこかの時機(決して今すぐではない)に人民元資産にえいやっとできると良いのだろうが、残念ながら、私の考えは上記のとおりだ。

そうなると、消極的選択ではあるが、金(ゴールド)というのが目先差し当たりの最もマシなベット先という帰結となるかなぁという感じとなる。

ベット先というものでもないな。金(ゴールド)で稼ぐ(キャピタルゲインを得る)というよりかは、これまで現金で余力管理してきたところを金(ゴールド)で余力管理するというイメージなので。


金(ゴールド)に限らず、短期的には拾う場面ももちろん来るし、実際にピャッと拾ってピャッと抜くことはするが、最も俯瞰的な視点では今は全世界的に下方向に向かっているものと捉えている。


2024年9月4日水曜日

某帝に二正面作戦ができる程度の余力はあるのか?

あくまで現時点での想定ではあるが―


中東方面についての某帝(現政権&民主党側次期政権担当候補)は、そうは言っても某朗が本気でカッとまではならない程度で事を済ませたいのではないかと思う。

反面、某帝がそういう方向に行きたがれば行きたがるほど、某帝を何が何でも巻き込みたい某国(というか某首相やね)は過激な動きをするという構図に見える。

共和党側次期政権担当候補は、皆ご存知のとおり、某朗が本気でカッとなってでもやってやるというファイティングポーズ状態だろう。


東欧方面についての某帝(現政権&民主党側次期政権候補)は、正直、相当興味が薄くなってきているのではないかと思う。

反面、こちらも、某帝がそういう方向に行きたがれば行きたがるほど、某帝を何が何でも巻き込みたい某国(某大統領)は目先の(見た目の)戦果を上げる動き―たとえそれが中長期的な戦略/戦術上、好ましくないことであったとしても―をするという構図に見える。

なお、共和党側次期政権担当候補は、こちらについては皆ご存知のとおり、手を引く気であろう。


いずれの候補者が某帝の次期政権を担当するにしても、方法論は異なれど、(あくまで後方から支援しているだけであるとはいえ、それでも)二正面作戦は極めて難しいということである。

某帝軍は確かに世界一強い。他の条件(変数)が全く同一で直接的な武力による戦争を1対1でやった場合、少なくとも敗北を喫する可能性は限りなく低いだろう。

しかし、兵站(≒経済力/生産能力)などまで含めてどこまでやれるかというと、私は二正面作戦(某中が動けば三正面となる)をやれるほどの余力はないのではないかと捉えている。


私は、二正面作戦(/三正面作戦)が長引く、かつ、これまで以上に資源を投入すると、高インフレ再燃の起爆剤となりうると捉えている。

その先に現国際基軸通貨の通貨価値がどうなるのかはまだ確定的な想定は付かないが(2~3の想定まではしている。)。

果たして某帝は、その危険を犯してまで徹底してやるのだろうか?(なお、中東方面についてはそれでもやるかもしれないと想定している。)


マクロが慌ただしい中でミクロ(特に、我々個々人)にできることは極めて限られている。どこでポジションを取るかという決断だけだ。しかし、それは極めて難しいことでもある。

そういった中でも1つだけ言えることは、「事業所得/給与所得はええと思うよ」である。

2024年9月2日月曜日

フォロワー数は資産?「目的と手段の逆転」の教科書やね

言ってる人の大半の(潜在含む)根の感覚は棚卸資産でしょうなぁ(ヤメナサイ


―という冗談は置いておいて、真面目な話をすると―

2020年(をちょっと過ぎた)頃くらいまでは、たしかにフォロワー数は資産であったと思う。

反面、今&ここから先は、そうとは思わない。

(否、これまでも、フォロワー数自体即ち資産という時期は、極めて短期のある時期にのみ適用できた考えであったと思う。)


私は、どういった人が集まるどういった”村”に属して(なお決して1つという訳ではなく、複数に属するものであろう)、その中でどういった役割を担っているか、みたいなものが資産であると捉えている。

もちろん、適切に営業や広告や広報などなどを行い、自社/自身の商品/サービスを提供する人物像に当てはまる人たちに的確にアプローチをしていった結果としてのフォロワー数というのは、この定義に当てはまると考える。


未だにフォロワー数だけを追ってドヤドヤしているというのは、教科書のような目的と手段の逆転である、ということである。

そのようなものは「資産」とは到底言えない。


2024年8月14日水曜日

無敵のかの国が席巻する市場で我が国(企業/事業者/製品)はどう戦えば良いのか

各(販売)国の中での(我が国含む)各国(製品)の位置付けというか感覚が非常によく分かるので、「物を売る」というのはやはり良い。

※弊社、自社で輸出物販を(も)行っております。


ネット上にいる人たちからはあまり好ましいとは思われていない傾向にありそうな(?)かの国は、国内経済が悪いやら、経済が●にそうやら、色々と言われている(実際に一定程度そうなのだろうとも思う。)が、私感としては、何だかんだでとんでもなく強い。

価格競争に持ち込めるものについては、色んな意味で太刀打ちできない。そこは好き嫌い関わらず直視しなければならないと思う。


じゃあ我が国(企業/事業者)はどうすれば良いかというと、相当ポジショニングを工夫すれば戦えるという感覚があるので、そこがポイントになると考えている。

我が国(企業/事業者/製品)は何が好まれており、ひいてはどういった期待がなされているのか、という消費者の潜在的な感情をOODA-Loopする必要がある。

(なお、可能な限り、地場の(中小)企業が売りたいモノと極力バッティングしないという観点も考慮に入れたい。)

これが極めて難しく、そして、極めて楽しいものなのだ。


―ということを、久々に諸々のリストのアップデートのために市場調査しながらあらためて思ったので、備忘用にここに書き記しておく。

なお、数年も経ったら感覚が変わっているかもしれない。あくまで現時点のものである。


2024年7月25日木曜日

2024年下半期~2025年夏あたりまでの超ざっくり想定

個人的なここから半年~1年程度の時間軸での想定は、法定通貨価値(≒物価)はディスインフレからのインフレ再燃、経済情勢は(現状横ばい~やや下方向と捉えているところからの)上方向転換からの下方向転換、としている。

故に、既に取っているリスクは(適宜縮小しながらではあるが)引き続き持ち続ける一方、時間軸を中期で見てのスタグフレーション下での価値変動というのを頭に、時間を掛けて事業のポートフォリオを組み替え(続け)ているところである。


余談、リスクテイクするに際しては、「損の最大値/中央値のマネジメント」というのが最も重要なことの1つであると捉えている。

(もちろん、経営手法などをより深く(より広く)学ぶということもとても重要である。)

(なお、私のこれまでの学びとしては、本来的には何かしらの経営手法を用いるというのは「損の最大値/中央値のマネジメント」も含有するものであると理解している。)

2024年7月3日水曜日

子どもたちには「一見無意味に見える何か」が大事なのだと思う

サマーズ氏: AIでプログラミングは時代遅れになる | グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート 

私自身も、プログラミングは我が娘・息子に勉強させたいとは全く思わない(はなから外している)。

(余談、一部で流行(?)の金融リテラシーに関してはさらにあり得ないという考えである。

理由はこちらの記事 ( 金融リテラシーとは「自分自身の人生の議決権」の哲学である ) の最後に記した、哲学をさせてくれる授業/教室というものが皆無(きちんと教えることができる者自体、極めて限られるだろう。)だからである。)


私は、AI(今の生成AIだけでなく、いわゆるAGIやASIが出現し、汎用的なものとなる)時代において、”人間がすること”というのは、以下のようなことあたりではないかと妄想している。

  • 自分の好みを持ち、それを表現/言語化/実現すること
  • 「なんでや/ほんまかいな/ほんまはどうしたいんや」とあらゆる物事に対して探求すること
  • 実際に体を動かし、実現に向けた行動を起こすこと

そして、こうしたことは、「具体的な(明らかに成績や成果が出る)何か」ではない、「一見無意味に見える何か(経験など)」から培われるのではないかと感じている訳である。

特に「好み」や「自分なりの好奇心(探究心)のスイッチ」などは、より感性が鋭敏な子どもの間に様々なことを感じる方が良いだろうと思っている。


大人になってから学ぶことができるものは、大人になってから学べば良いのである。

子どもたちの感性を尊重し、子どもたち自身がピンときたものをやり(ただし、そのためには、あえて自分からは興味を持たないことにも触れさせるということも必要だと思う。)、自由に自己表現できる環境を整えることこそが重要であるとこの上なく強く思う次第である。


もちろん、我が娘・息子がプログラミングを学びたいと言い出したら、1度好きにすれば良いとは思っている。

これに限っては、真正面から反対意見を伝えるけどね。

少なくとも、「で、何を作りたいんや?」である。


2024年6月23日日曜日

命の長さは短くかつ長い

高校時代に2年生から卒業までの2年間を担任していただいた恩師が、昨年お亡くなりになっていたことを母校の同窓会報で知った。

病気で一度休養し、復帰していたということは知っていたので、てっきりご快復されたのだとばかり思っていた。

あまりにも若すぎる訃報に心から驚いている。

(休養も復帰も母校の同窓会報で知ったことだが…小中高大を通して各卒業後は”僕は友達が少ない”もので、同窓の情報はほぼ皆無なのである。)


思春期という極めて難しい時期、それも男子ばかりのクラス(男子校だった)を受け持つには、このくらいの厳しさでちょうど良いんだよと親になった今だからこそ思うが、在学中は当然、「もうちょい優しい先生がええなぁ…」などと思っていたものである。

(先生、本当にすみません。)

卒業が近付くとあの鬼のような厳しさが緩み、「あ、こんな冗談も言うんですね」「あ、こんくらいならイジっても良いんですね(良くない)」みたいな―本当に朗らかな一面を見せてくれた。

今ではあんなに怖かった「鬼の怖さ」よりも、そういった朗らかな姿の方が記憶により残っている。


当時、幼稚園に入るか入らないかくらいの娘さんの話をよくしていた。奥様の話も。

ご家族を本当に愛されているのだな、と思春期心に思った記憶が最も強く残っている。

実際にご家族の前でどうだったかはほぼ存じない(文化祭にご家族も来られてたので少し知っている)し、その後ご家族がどういったことを思われる人生を歩んだかも全く存じない。

それでも、父親の記憶がない私に「父親像」というものの1つを見せてくれたこの上なく貴重な存在であったと、今ふと思った。


そんな私にも妻ができ、娘息子に恵まれ、最低限生きていく分のお金はありがたいことに得ることができるようになり―そしてちょうどちょっとした時間もできたこの時に先生の訃報を知る―というのは、(ちょうど様々見つめ直していたのでなおさら感じるということだが)様々きちんと哲学しなさいという思し召しなのかもしれない。

人の一生は、自分が事前に計算しているよりも短く、そして人の最期までの歩みは、自分が想像しているよりも遥かに長い―というのが私の「命の長さ」に対する人生観である。

そばで賑やかに戯れる妻・娘・息子を眺めながら、この幸せを噛み締めながら最期に何を残したいかを改めて思い起こした休日となった。


2024年6月15日土曜日

イケイケドンドンと積極的なリスクテイクは異なるもの

ヤバいものってただヤバいだけなんだけど、積極的なリスクテイク(を止めるな)という魔法の言葉で正義化されがち。


ヤバいものをちゃんと止める組織を作るかどうかは置いといて、何かしらそういった仕組みと人材は必要不可欠であると私も思う。

”若い”中小企業の場合はなおさらで、代表者自身がヤバいものを進めてしまう場合というのが往々にして割とあるように見受けている。

なお、それは決して悪意でやってるものでなく、ナチュラルに良かれと信じてやってる場合が大半だと思う。ある意味でたちが悪いのかもしれない?

(”若い”中小企業だと、代表者に堂々とモノを言える人間は極わずかだしね…。)


故に、代表者自身が代表者自身を律する概念を持ち(自分自身の感覚は完璧でないということを自覚し)、それを物理的仕組み化するということは大変肝要だと思う次第である。

(なお、それができるところにはこんな話は釈迦に説法であるという矛盾…)

2024年5月29日水曜日

経営/事業は引き算で永遠にぐるぐると回り続けるもの

以下の投稿に前後に連なる一連の投稿(スレッド)は、どれもが規模の大小に関わらず経営/事業において極めて重要な指摘となっていると考える。

その中でも特にこの投稿はそうだなと思ったので、備忘がてら引用させていただいた。


(経営)決断とは断つものを決めること(経営資源配分の最適化)、つまり引き算なのだが、まぁ(こと我が国では)なかなかできないものである。

(ひな型化できた事業構造の賞味期限はだいたい最長で20年である。故に、外部環境に合わせてグーパーチョキ(理論)していく必要があるのだが…。)


また、こちらも特に極めて重要な指摘であると思う。


小規模事業者ではリソース(私は兵站と呼んでいる)の管理が割と軽視されがちに感じる。

また、多少長く営んでいる中小企業ではビジョンのみに傾倒されがち(ビジョン以外の4つは無意識に軽視されがち)に感じる。

どれか1つが最も大事というものではなく、どれも全て等しく最も大事なのである。

故に、経営者/事業者は、この5つを永遠にぐるぐると回り続けることが役割/職務となると考えている。

2024年5月20日月曜日

金融リテラシーとは「自分自身の人生の議決権」の哲学である

経営(事業)においては、意思決定権(=議決権)と価格決定権をどれだけ持っているかというのが極めて(最も)重要なものである―というのが肌感になりすぎてしまっている。

(―という者は少ないのかなぁ?)

しかし、人生の選択権/決定権をどれだけ持っているかという概念は、一般的には重視されない(視点がない?)のかもしれない、とふと思う事象に出会った。


事業においても個々人の人生においても、(自己資金(利益剰余金)を除く)エクイティもデットもともに、その選択権/決定権の一部を他人に渡すということと同義である。

これは、元本返済および利息支払(エクイティの場合は配当の支払等)を行いながら、事業/生活を営むことが可能な程度の利益/所得を得続けることを、将来に亘って義務付けられるということであるためだ。


たしかに、外部(マクロ)環境はデフレ構造からインフレ構造へと転換し、資産や負債を「持つこと」が優位な時期に入っている。

故に、借りるということ自体を否定するものではなく、むしろ一定の借入というのは誰しもに必要不可欠であると考えている。

その一方で、一部の言説で度々見かける「借りられるなら無限に借りるのが大正義」というものについては、私は「それはない」と考える。

”利益/所得を(全く)得られないが、それでも断固やりたいこと”というものができなくなる(できる余地が狭まる)、というのは、少なくとも私にとっては不幸なことである。


大事なので何度も書くが、借りるということ自体は否定しておらず、むしろ一定の借入というのは誰しもに必要不可欠である。

その上で、自分自身の人生の議決権は確保された水準のものなのかどうか、というのを考え、その範囲内にコントロールすることが最も重要であると考えている。

なお、自分自身の人生の議決権(が確保された水準)について考えるには、自分自身の人生においてより良い人生とはどういうことなのかを自問自答することが当然に必要になるだろう。


私が考える「金融リテラシー」とは、巷で流行りの金融商品を知ることではなく(そんなことは枝葉of枝葉の取るに足りないことである。)、こうした哲学をサボらずにやるということ(また、そのために必要な、社会などを知るということ)である。

2024年5月14日火曜日

元Google+民、未だにGoogle+を惜しむ

ジャック・ドーシー、Blueskyからの離脱は「Twitterと同じ過ちを繰り返しているから」とインタビューで述べる 

「SNS」というものについては、某今は亡き赤いSNS(Google+)が完全なる完成形だと思っている。

ただし、あの形(コンセプト/構造)は当時のGoogle以外では財務が保たないであろう、故に、長く維持できない(故に、誰にもやれない)という致命的な問題があるのだが…。

この世界(の人間が生み出すもの)に完璧なものはないということだねぇ。

人類はまことに惜しいものを失ったと思っている(個人的推しがゴリゴリに入った言説であることは認める。)。

2024年4月30日火曜日

経済の”色”の変わり目の可能性…か?

年初に2024年の想定として「短期的には、日本に関しては、適度なインフレ下(ディスインフレ下)での経済情勢の良化」を優位としたが、この”短期的には”という期間の終わりの始まりを感じ始めている。

上の想定はマクロを見てのものだが、ここ最近、少しずつではあるものの、身近で見聞きするところで景気の良くない話がチラホラ入ってくるようになってきたためである。

まだ決定的なものとは捉えておらず、現時点で経済情勢の悪化に決め打ちしてベットするものではない。

その上で、それでも、今後はこのことを多少頭に入れてリスクテイク判断/決断を行っていくということにする。

2024年4月26日金曜日

少子化・高齢化vs技術革新の構図

インフレ/デフレを想定する上で、雇用という点に焦点を当てると、基本的にはインフレ圧力が働きやすい構造となっていると考えている。


現代の産業構造においては、雇用への影響について、(資本集約型ではなく)労働集約型(※)の産業/事業の割合が高いものと捉えている。

(※)私は知識集約型と呼ばれるものも実際は労働集約なものであると定義している。

そして、誰しもが知っているとおり、我が国日本では少子化により、(将来の)労働者が減少する一方である。また、高齢化により(労働から離脱した者の)消費は増加する一方となる。

そうすると、大変教科書的なお話ではあるが、労働(者)が生み出す財・サービス(=供給)よりも消費(者)(=需要)が大きくなるから、インフレ圧力が働きやすくなる。

つまり、時間軸を長期で取った場合に、雇用に関してはインフレ圧力が働きやすい構造であると想定している。


その一方で、AIをはじめとした技術革新というものは、基本的に雇用に対してデフレ圧力を与える。これはわざわざここで説明するまでもないだろう。

そうなると、労働集約型産業を資本集約型産業に置き換える(または、完全には無理でも、一定程度資本集約化する)ことにより、労働者の減少分の供給を技術革新がどの程度埋めることができるのかというところが、長期的に見た雇用という点に焦点を当てた場合のインフレ/デフレ想定の最も重要な材料の1つとなると考えている。


なお、労働集約型産業を資本集約型産業に置き換えるという点について、大資本には可能であっても、(中~)小資本にはかなり厳しいことであると現時点では考えている。

(相当の技術革新および当該技術の汎用化(低価格化)により可能となるかもしれないとも考えているが、基本的にこういったことは最も悪いケースから想定を組み立てておくと丁度良いと思っている。)

そうなると、小規模事業者にとっては、技術革新が及びづらい(技術革新の提供者にとって市場メリットが薄い)戦場を選んでいく(上手くピボットしていく)というのが、長期的に生き残る道の1つとなるのではないかと想定している。

また、これらの想定から、時間軸を長期で取ると、様々な経済活動において中途半端なもの(中規模なもの)が減少し、「超マクロ」か「超ミクロ」に2極化していくのではないかと妄想している。

2024年4月22日月曜日

データ至上主義(者)の弊害

経営数字と事業ポートフォリオ構築に責任を持つ立場を生業にしている者として、これは本当にその通りだと考える。


とても大きな分岐となるような意思判断、つまり、戦略面での意思決定(決断)は、定性面を見る割合が最も大きい。

この場面において、定量情報(数字/データ)は”兵站”である。それを超えるものでもそれ未満のものでもない。

(もちろん、兵站は戦略決定およびその遂行において極めて重要な要素の1つである。)


数字、データ、定量情報というのは全くもって万能ではない。

それらを万能と捉えてデータ至上主義を取ると、大局観のところで決断/判断を誤る。


俯瞰、大局観、といったところで誤った決断/判断は、残念ながら、どれだけ小手先の部分で取り戻そうとしても決して上手くいくことはない。

故に、経営者/事業者というのは、(データサイエンスが云々、データドリブンが云々、言う前に)まずは俯瞰や大局観というところが一定以上の水準で勝負できるようになることが最も重要であると考えている。

2024年4月17日水曜日

頑固はただただ損するだけ

リスクテイクの類のものは資産運用に限らず万事これ。


付け加えると、自分自身の想定などというものは、(特に最初のうちは)全部誤ると構えているくらいでちょうど良い。

(だから想定しなくていい/想定するなと言っている訳では全くない。)

自らの誤りを直視し、その自らの誤りに対して自ら真っ直ぐに向き合えるかどうか、が長期的には結果を出し続けられるかどうかに最も影響していると思う。

頑固というのはただただ損するだけなのである。

2024年4月13日土曜日

自制心依拠は長期的には超高確率で裏切られるものである

会社経営でも(規模や額は段違いであれど)あるあるな事例。故に、捜査が進まんことには何とも言えんわな、などと思っていたなど(後出しの初言及。ビバ事後諸葛亮!)。


いわゆる”右腕”(=通帳やハンコを信用して持たせてもらうような者)というのは、究極の無金欲(倫理観や誠実さなどでは全然弱い)という性質がないことには長期間その任を果たすのは難しいと思う。

魔が差す瞬間というのは、どれだけ清く正しく美しく生きている者であっても―誰しもに等しく眼前に現れるのだ。

そのときに頼れるのは自制心ではなく、そもそもその対象に対する欲がないというところになるのではないかと感じている。


ただし、何かしらの欲があるから人は前に進むことができるのだとも思う。

現実的/実務的には、人は誰しも魔が差すのだという前提で、諸々の構造を設計するということになると考えている。

人を信じる(信じたい)からこそ、人を手放しで信じてはならない―という禅問答である。


2024年4月8日月曜日

新規事業出資を決定いたしました。

新規で出資することを決定いたしました。

(規模(フェーズ)はシード~プレシリーズA。)

弊投資テーマにド真ん中に適合するものであったこと、経営陣の考え方が私の考え方に合うこと、の2点を決断材料とさせていただきました。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2024年4月5日金曜日

自由は最適だが、自由を維持するには全員の努力が必須

これ本当に何かしら対策を講じる方が良いと思う。


某ユニクロ柳井さんのやつとかは3分くらいソースを調査するだけでこれ絶対アカンやつやなと分かるが、投資若葉マークな人たちはパッと見でこういう嗅覚は働かないだろう。


資本主義(市場原理)も民主主義(自由主義)もともに、「みんながみんな(1人残らず)」中長期目線が可能かつ倫理的に行動選択できる場合にのみ、極めて有効に機能するものと捉えている。

その上で、にんげんさまという総体にそれを実現することは極めて難しいのではないか、と考えている。


自由であればあるほどに人はより幸せになれる反面、自由な社会を超長期間維持できるほどに人類という総体としては自制力を持っていないと思う訳である。

今回取り上げた事案に限らず万事、規制は幸福を下げるが、規制しないと不幸が天元突破する―という中で、あとはどのあたりでバランスを取るかということだろうと眺めている。

2024年4月4日木曜日

キレイなビルよりキレイなPLとBSとCF

キレイなビルよりキレイなPL、本当にこれは本当すぎて首がもげる。


付記すると、私自身は、「キレイなビルよりキレイなPLとBSとCF」と(この上なく強く)考えている。


なお、これはベンチャー企業に限らない。小規模事業者にも等しく当てはまる。

事務所をシャレオツにすることに全力投入してるんちゃうかというところで成功したところってあるんです?と思う程度に期待値が低い(まぁ、あたしのnが少ないだけかもしれない。)。

(もちろん、完全な0ではない。)

また、そもそも、キレイなビルでないと来ない者というのは、他にもっとキレイなビルの他社が目に入ったらあっさりとそっちに行くと思う。


万事において、見るべき基準はひとえに「戦えるかどうか」だと私は考える。

2024年4月2日火曜日

自身が保有する武器の量と質、適用する幅と深さの妙

マクロ経済を観察(Observe)し状況判断(Orient)することを、経営/事業に具体的にどう適用するのかについては、私は息を吸って吐く感覚で無意識レベルで行っている。

私はこうした”より抽象/俯瞰””そもそも論”というところの想定/決断/動きが好き(かつ、私自身が保有する技能として、他の技能と比べて最もマトモに戦えるレベル)であるという武器だけで長く戦い続けてきたと言っても過言ではない。

そうした中で、昨日は、この武器について適用できる範囲(分野)が1つ増えた大変ありがたい日となった。


事業を行う者として干支一回り以上稼働し、純粋な年齢も30代半ばを超えて、それでも私自身の性質や技能をどのように具体的に適用できるかということは年を追うごとに増えている。

率直に、手持ちの武器の量と質はさすがにそろそろ固まってきつつある。(これ自体は私は悪いことではなく、むしろ良いことだと考えている。)

その上で、それを適用する幅と深さをどのようにコントロールしていくかというところが、今後の私自身の戦い方として重要なのだろうと現時点では仮説立てている。

2024年3月30日土曜日

トップ個人を信じられるかどうか

事業構造・利益構造は素晴らしいが、経営陣(およびそれに類する役職陣)から雰囲気を感じられない場合、というのが私が最も(事業)投資で悩むケースである。


事業というものは、仮にどれだけ完璧な論理が成立していたとしても(もちろん、それはあり得ないが)、決してそれだけで上手くいく訳ではない。

最後の最後は経営陣、さらに言えば、トップ個人のリスクテイクの巧さ(これは決して「リスクテイクする/できる」だけでなく、むしろ「無駄なリスクテイクをしない」決断ができるかどうかという方をより重要視している)というのが最も重要な要素であると感じている。

このリスクテイクの巧さの雰囲気を感じられるかどうかというのが、私にとって最重要の論点なのである。


とどのつまり、出資というのは、人によって見るポイントは様々で異なれど、自分自身の哲学や基準に照らし合わせてトップ個人がそれに合っているかどうかを信じられるかどうかということなのだろうと思う。

2024年3月25日月曜日

米欧の経済(学/政策)をそのまま適用することは果たして絶対的なものなのか?

図らずもたまたま先日同様のことを申し上げていた。

(本当にたまたまで、そんな記述のある稿があるなど全然知らなかったですよ笑)


(※先日のXでの投稿)


(このようなX(旧Twitter)での投稿のようなものも今後はこちらに書いていこう(移していこう)と考えている。)

2024年3月23日土曜日

「社運を賭け」ている時点で”負け確”である

経営/事業、は博打ではない。かつ、経営/事業に100%確実なことは何一つとしてない。

故に、経営/事業において行うことというのはひとえに、成功を得るための試行錯誤(=思考と行動)と、失敗したときに致命傷を負わないための試行錯誤(=余力管理)、この両方のOODA-LOOPの掛け算ということになる。


前回の記事([動く/行動する教の功罪])では、動きすぎることがなぜ経営/事業に悪影響を及ぼすと私が考えているのかについて記した。

今回は、その派生で「社運を賭ける」ことを好む者が如何にして社を潰すのかについて記す。


率直に、私は「社運を賭けて―」などといった言葉を口から出す経営者/事業者というのを全く評価も信用もできない。

経営資源管理(余力管理)というのは、経営者や事業者の最も基本にして最低限の仕事の1つであると考えているためである。

この定義に照らし合わせると、社運を賭けなければならない状況を作り出した時点で、経営資源管理(余力管理)に失敗しているものと考える訳である。

また、そんな経営資源管理が「仕事」である経営者や事業者が、それすらできないにも関わらず、”一発”当てる確率など限りなく低いとも考えている。

失敗したときに致命傷を負わないための試行錯誤は比較的”計算可能な(コントロール可能な)”範囲が大きいものである一方、成功を得るための試行錯誤(=思考と行動)は”完全には計算不可能な(コントロール不可能な)”ものであるためである。

「成功はアート、失敗はサイエンス」という言葉があるが、これは私の経験知含む歴史の教訓としてそう言えるものであると確信している。


私は、「社運を賭けて―」という言葉を経営者が発した時点でその社は既に”負け確”であると考えている。

もちろん、そういった賭けを1万回試行すれば、少なくとも1回は勝つだろう。しかし、それは「経営」「事業」とは到底言えないものである。

重ね重ねとなるが、経営者・事業者(および運用者)にとって、余力管理は最も基本にして最低限の仕事の1つなのである。

リーダーシップや人心掌握、イノベーションを起こすには、などといったキラキラしたものが持て囃され、そういったことを追いたくなる時代であることは理解するが、経営者・事業者の仕事を履き違えてはならない。

2024年3月20日水曜日

#Foodsupplies

2024/3/20


2024/6/13


2024/10/30


2024/10/31


2024/12/4


2024/12/23

  • 摘み取りも除草も、農機ロボットにお任せ。中国スタートアップが挑む「スマート農業」革命
    https://36kr.jp/312120/ 

2025/2/8


2025/3/3


2025/5/27


2025/6/5


2025/6/7


2025/6/16


2025/6/24


2024年2月23日金曜日

「動く/行動する」教の功罪

「決める(決断する)」ということは、「やることを決める」ことではなく、「やらないことを決める」ことである―ということを久々に思い起こす場面に出くわしたので改めてここに備忘しておく。


少なくとも私が学生時代の頃(15年ほど前)からずっと、「動く(行動する)」ことは絶対の正義であるという風潮が確実にある。


たしかに、動く/行動するということ自体は、ここで改めて言うまでもなく(そして、経営者/事業者であればほぼ全員が認識している通り)極めて重要なことである。

動く/行動することなしに自社や自身の課題が解決されることはほぼない。

また、自社や自身の理想や最低目安などを達することもほぼない。

これは、動く/行動することによって、自社や自身の課題がドンピシャで解決される/理想や最低目安をドンピシャで達成できる機会(要素)を探り当てているからだと理解している。


その上で、動く/行動することはできているにも関わらず、自社や自身の課題がドンピシャで解決される/理想や最低目安をドンピシャで達成できる「絶好の機会」が訪れた際に、その機会を掴むことができないパターンを往々にして見る。

このパターンにおいて、行動量の不足のために掴むことができないというものはそれほど多くないように思う。

(前述の通り、経営者/事業者はほぼ全員が行動(量)の重要性を認識しており、そもそも何かしらの形で常に行動しているものである。)

ではどういったパターンが多いかというと、絶好の機会を「掴む」ための経営資源(ヒト、カネ、モノ、ジョウホウect...)が足りないというものである。


端的に言うと、これは「動きすぎ」である。

経営者/事業者というのは、ただ動けば良いというものではない。

思考なしにただ動くだけでは、貴重な(有限である)経営資源を無限にすり減らすだけで終わる。

(なお、往々にして経営者当人/運用者当人はそのことに気付かない。)

絶好の機会を「掴む」ための余力を残しながら「動く」ということが肝要なのである。


経営/事業というものは、”キラキラしたものに流される””流行りを追うことしかできない”という者が継続的に結果を出し続けられるようなものではない。

大事なので何度も書くが、経営資源は有限である。

「全て」の施策を同時並行で高レベルに行うことができるとするならば、それはAmazonやAlphabet(Googleの親会社)などの、資本が実質的に無限にある、極限られた企業のみである。

自社や自身がその水準にないのであるならば、貴重な有限の経営資源をどこに配分するか、即ち、どこには配分”しない”のか、ということを決めることが「経営者/事業者の(にしかできない)お仕事」となるのである。

2024年1月30日火曜日

2024年の想定

2020年4月から「前門の信用収縮(=経済情勢(大)悪化)、後門の過剰流動性(高インフレ)」という想定を唱えてきたが、2024年も引き続き(2025年までは)この想定を継続している。

ただし、2024年内(少なくとも上半期まで)という時間軸で見ると、インフレの高進/低下がどうなるかは分からないという上で、致命的な経済情勢の悪化というのは考えづらいのではないかと想定している。

また、「東京および東京圏」と「それ以外の地域」で、これまで以上に状況が乖離する(乖離幅が高まる)と想定している。


こう考える理由の1つ(他にも様々なことを見て考えているが、とりあえずの例示)としては、少しずつ出てきつつある今春の大企業のベースアップについての状況にある。

既に広く知られているとおり、このベースアップについて、ざっくり見ている限り現時点では、だいたい3%~5%の幅の中のどこかというのが落ち着きどころではないかと捉えている。

大企業の賃金については、多少なりともインフレ傾向で進むことになるだろう。


これを受けて、日本銀行の判断はまた難しさを増すのではないかと妄想している。

上で述べたとおり、大企業(端的に言うと、東京および東京圏)では賃金インフレが進むと想定している。そのため、日銀はマイナス金利解除まではしたいものと想像している。

しかし、東京圏以外では、インフレ率が低い(デフレ圧力が強い)。定性面を見ても、(定量面以上に)この傾向にあると捉えている。そのため、この観点で見ると、日銀は金融引き締めと受け取られかねないことをしたくないものと想像している。

(余談、マイナス金利を解除すると、市場(特に、外国人)はゼロ金利解除までも想像すると想定している。ひいては、過剰な価格形成を誘発する可能性があるものと想像している。)

米国の政策金利が低下方向に転換すると想定されている今、市場をあまり刺激したくはないのではないかと思う。

政策決定というのは、(セーフティネットを用意した上で)まずは最優先事項を手当てする、ということであるが、そうなると、基本的に強者側を”最優先事項”とすることは難しいと思っているので、本件についておそらくは「東京圏以外」を取ることになるのではないかと仮説立てている。

つまり、マイナス金利解除まではするとして、その先は踏み込まず、結果、東京および東京圏はインフレ/それ以外はディスインフレ(ないしデフレ)、というのが最優位の想定ということになる。


米国は「ノーランディングかソフトランディングか」と巷で言われている。

このフレーズを借りると、私は、日本(米欧もであるが)は「ソフトランディングかハードランディングか」というのが基本的な想定している上で、具体的に以下の3パターンを想定している。

  • 高インフレを伴ったソフトランディング
  • 高インフレを伴ったハードランディング
  • 高インフレを伴わない(デフレを伴った)ハードランディング

その上で、より短期的には、日本に関しては、適度なインフレ下(ディスインフレ下)での経済情勢の良化を第一の想定としている。

なお、日銀がマイナス金利を解除した場合でも、それだけでは経済情勢に大きな影響を与えないのではないかと考えていることも補記しておく。

また、地政学面の事象により、資源価格等が高騰することで世界的に高インフレが再来するパターンというのを頭に入れていることも補記しておく。

2024年1月1日月曜日

[年初の御挨拶] 謹賀新年

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

2024年が皆様にとって素晴らしい1年となることを祈念いたします。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

隷従への道は現代に通ず、否、今こそ通ず

平素からハイエク党を公言しているワタクシめ、秒で反応せざるを得なかった笑 政府が関わってくることへの警鐘:ハイエク『隷従への道』が現代に問いかけるもの これを80年以上前に主張しているハイエクの慧眼よ。 また、80余年間解決していない「市場の(負の)...